シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「ファーザー」(詳細なネタバレはなし) 恒常的に自分が何をしているのか分からなくなる状態は、本人にとっても、まわりの人間にとっても、生き地獄。

 

6月18日、自宅で「ファーザー」を鑑賞。

 

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2020年製作。

アメリカ・イギリス・フランスの合作映画。

 

認知症に侵され、

徐々に記憶が曖昧になり、

最終的に自分が何者なのかもわからなくなる

高齢男性を、名優アンソニー・ホプキンスが演じる。

 

この映画を見ている間、

もうすでに亡くなった僕の祖母の顔が、

何度も思い出された。

 

恐縮ではあるが、今回、映画の感想の前に、

僕の私的な体験を綴らせていただきたい。

 

僕が実家暮らしをしていた頃、

両親と共に、祖母も同居していたのだが、

彼女が75歳を超えるか超えないかのあたりから、

割と短い周期(1ヶ月に1度くらい)で、

同じ話(大体、昔の思い出話)を僕に聞かせてきたり、

コンロにかけた鍋や、やかんのことを忘れて空焚きさせ、

たまたま台所の近くにいて気づいた家族の者が、

慌てて火を止める、

ということが繰り返されるようになってきた。

 

「軽めの認知症なのかな?」と言えるような傾向ではあったが、

僕の記憶では、祖母が85歳を超えたあたりから、

その症状は加速していく。

 

前述の空焚きも頻発するようになり、

年金が振り込まれたどうかが気になって、

何度も僕の母に確認を取るようになるなど、

その行動が、

明らかに家族の生活に負担をかけるようになってきたのである。

 

当時、僕の家で使っていたガスコンロは、

長年、空焚き防止センサーが付いていない

年季の入ったものだったので、

「これはもうダメだ。

火事でも起こされたら、たまったものではない」と思い、

センサー付きの新しいコンロに買い替えて、

安全対策をとったのだが、

それよりもキツかったのは、年金の方である。

 

祖母は、自分のお金の管理も怪しい感じだったので、

僕の母が、

祖母の代わりに振り込まれた年金を引き落としに行って、

一定額を祖母に渡していた、

と僕は記憶しているのだが、

祖母はとにかく、

何度も何度も、

「年金が振り込まれたか?」

「今月、引き落としたお金を、私に渡したか?」

という事を、僕の母に確認するのである。

 

起きている時間ならまだしも、

夜寝ている時もである。

 

当時、僕と両親は、家の3階で寝ていたが、

ある時期からほぼ毎日、

夜中の2時か3時くらいになると、

2階から3階につながる階段のあたりから、

祖母が母を呼ぶ声がするのである。

 

祖母「私の年金、どないなってるの?」

僕の母「お母さん、お昼も言ったやんか。今月○○円渡してるやんか」

 

このやり取りが、確か僕の記憶では、

2014年頃から激化していって、

この頃から、

父親も事あるごとに、

祖母の言動に対して、

イライラしながら受け答えしている様子を見る機会が増えてきた。

 

母と祖母のやり取りは、

当然、隣の部屋で寝ている僕の耳にも入ってくるので、

僕も毎晩のごとく目が覚めてしまい、

正直「またか・・・・」と、

一連のやり取りが終わるまで、

時には苛立ち、時にはため息をついて、

ベッドの中で過ごす、という日々が続いていた。

 

ここで念のために言っておきたいが、

祖母が認知症なのをいい事に、

僕の母が、祖母のお金を横領していたのではないか?と思われた読者の方が、

もしかするとおられるかもしれない。

 

そのような疑いについて、

僕は「それだけは断じてない」と言いたいし、

僕は母を信じている。

 

僕の母は、

本当に純粋で真っ直ぐな「正義感」「倫理観」を持っていたし、

言い換えれば、良くも悪くも「正義」の人だった。

 

特に金銭面については、

絶対に汚いことをするようなタイプの人ではなかった。

 

僕以外の、母をよく知る人であるならば、

この僕の主張に対して、

みんな首を縦に振ってくれるに違いない、

と信じている。

 

というわけで、

家族に不穏な空気感が現れ始めて数年後、

僕たちに人生最大のピンチが訪れる。

 

2015年の1月に、

父親が脳出血で倒れて入院し、

その約2週間後に、

今度はなんと、母親が悪性リンパ腫で入院することになるのだ。

 

相次いで両親が大病を患い、

残された家族である僕と、

僕の妹は窮地に立たされる事になった。

 

両親の事もさることながら、

この状態で「果たして、認知症の祖母を、

日中、誰が面倒を見るのか?」

という大問題にぶち当たるのである。

 

「老人ホームに入居させればいい」という、

単純な問題ではない。

 

予想もしなかった出来事に、

まず財政面でどう対処すればいいのか、見当もつかなくなるのである。

 

父親と母親に関する負担額でも精一杯(実際は、もはや精一杯を超えていた)なのに、

この上、祖母を介護施設に入居させるとなると、

とてもじゃないが、僕と、僕の妹が破綻してしまう。

 

この人生最大の大ピンチをどう乗り越えたかは、

今回の記事の趣旨とは外れるし、

非常に複雑で長い話になるので、

割愛させてもらうが、

まあとにかく、今思い出しても、

多大な借金を背負わずに済んだことが、

いまだに自分でも信じられない。

 

本当に本当に、沢山の人たちに助けていただいた。

 

その後、2016年の秋に、

父がこの世を去り、

その翌年の春に、母がこの世を去った。

 

両親が入院している間、

祖母は週に数回、デイサービスのお世話になり、

介護を受けられない日に関しては、

近所に住む親戚のおじさんおばさん達が、

一定期間、日替わりで、祖母を見守るため、

僕の家に滞在してくれたのだが、

あれには本当に感謝しかない。

 

思い出すと、これを書いている今も、

目頭に熱いものが込み上げてくる。

 

話が少し脱線してしまったが、

両親の入院中の祖母の言動は、

まさに認知症の最たるものを表していた。

 

父親が自宅で倒れるのを、

祖母はその目で目撃したにも関わらず、

数週間すると、

僕に「シンゴ、ヤスユキちゃん(父の名前。祖母は「僕の父の母親」である)、最近見いひんけど、何してんの?」

と、質問してくるのである。

 

「オトン、入院してるで」と言うと、

「ええ?!何で?どないしたん?!」という感じで、

このやり取りを毎日大体2、3回行う。

当然、次の日には、全て忘れている。

 

母親についても同じような感じだ。

 

両親の死後、

祖母は、父親の妹さんの多大なるお力添えもあって、

無事に介護施設に入居することになる。

 

僕は時々、祖母の様子を見に、

施設を訪ねたが、

ある日、「おばあちゃん、元気?」

と声をかけて、

「ああ、あんた!

えーと・・・あんた、誰やったかいな?」

と言われた時は、

もはやショックとか、落ち込みを通り越していた。

 

「まあ、遅かれ早かれ、そうなるよな・・・」といった思いだった。

 

僕は、祖母に笑いながら、

「おばあちゃん!(笑)シンゴやん!

今まで何年、一緒に過ごしてきたん?(笑)」

とツッコむと、

祖母は、僕の顔をしばらく凝視し、

沈黙した後、

「・・・・ああ!!そうや!あんた、シンゴやわ!!

いや〜もう最近、私もボケてきたわ!

嫌なるわ!(笑)」

と返してきた。

 

あれにはもう、その場にいた一同、

ただただ笑うしかなかった(笑)。

 

両親の死後も、

「ヤスユキちゃん、最近どないしてるの?」

「あっちゃん(言い遅れたが、僕の母の愛称)は、どないしてんの?」

と、祖母は僕に聞いてくる。

 

この辺りの祖母とのやりとりは、

僕も初めこそ、父と母の死の報告を、

断腸の思いで祖母に伝えたが、

もう、ある時期から、

いい意味で(あえて「いい意味で」と言わせてもらう)全く気を遣わなくなってしまっていて、

あっけらかんと、

「オトンもオカンも死んだで」

と教えてあげると、

「え?ほんまに!いつ?!

気の毒やわなあ・・・あらそう・・・

それは知らんかったわあ!

(表情と言い方に深刻さが感じ取れない。その証拠に、その後すぐ、別の他愛もない世間話を始める)」

という具合だった。

 

その祖母は、施設に入って数ヶ月後に、

(確か)肺炎で亡くなった。

 

祖母が亡くなった時、

僕の心は、悲しいとか、切ない、よりも、

淡々とした気持ちで、

「おばあちゃん、お疲れ様。今までありがとうな」感じだったし、

こんなことを言うと、読者の方はドン引きするかもしれないが、

「ようやく肩の荷が下りた」

「色んなものから解き放たれた」ような感覚になった。

 

認知症の家族と暮らした経験のある方には、

もしかしたら、

僕のこの感覚をわかってもらえるかもしれない。

 

という事で、

長くなってしまったが、映画に話を戻そう。

 

本作に対する僕の評価だが、

100点満点で、80点。

 

この映画は基本的に、

認知症の老人アンソニーが見ている世界を軸にして描かれている、

と捉えていいだろう。

 

同じような状況に出くわしながら、

今、自分の目の前にいる人間が何者かがわからなくなり、

今、自分が認識している状況が、

以前に把握している情報と違っている。

 

このような場面が、何度も何度も繰り返される。

 

物語は、全体として特に起承転結といった流れがなく、

認知症患者が見ている世界」を、

鑑賞者に疑似体験させるかのような、

ある意味「混沌とした」ものを感じさせる。

 

一定数の鑑賞者は、最初の内は、

物語についていこう、展開の流れを掴もう、

といった事に、

神経を集中するかもしれないが(僕がそう)、

おそらく途中から、登場人物の関係性や、

本当にこの人物が実在しているのか、

などについて、

だんだん訳がわからなくなるだろう。

 

中には、執拗に同じようなシチュエーションが繰り返されることに、

イライラしてくる人もいるかもしれない。

 

僕も見ていて、

「この人物相関は、どうなってるんだ?」と思ったのだが、

ある時点で、ハッと気づいた。

 

この「把握しきれない感じ」は、

まさに「認知症に侵されている者の感覚」を、

映像を通して伝えようとしているのではないか?と。

 

そしてこれは、

僕の個人的な解釈であるが、

この「よく分からなくなってくる(もしくは、見ていてイライラしてくる)」という感覚も、

認知症患者に関わる、まわりの人間たちの感情や態度の一端を、鑑賞者に体験してもらおう」

という、監督の意図のような気がしてならないのだ。

 

ラストのアンソニーの姿を見ていると、

認知障害という症状が携える「絶望ぶり」を思い知らされる。

 

終始、救いのない話なので、中には見ていて気が滅入る人もいるだろう。

 

この映画で、主演のアンソニー・ホプキンスは、

アカデミー主演男優賞を獲得している。

 

僕のような者が言うのもおかしいが、

「さすが」の存在感と演技だ。

 

マイナスポイントとしては、

アンソニー認知障害

表現した映像と演出の繰り返しに徹しているので、

個人的に、物語として、あまり奥行きの広さが感じられず、

上映時間も90分強という事で、少し物足りない感じがした。

 

見終わった後、

「最終的にこういうことになるなら、人生って何なのだろう?」

という疑問が、ふと湧いた。

 

その答えを死ぬまでに見つけ出すことは、

僕には不可能だろうし、

万が一、答えを見つけ出せたところで、

僕が、この先の人生を幸せに終えられるのかどうかなど、見当もつかない。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。