昨日は、TOHOシネマズにて
「クーリエ:最高機密の運び屋」を鑑賞。
で、いきなり映画本編とは違う話で恐縮なのだが、
僕の2列後ろの座席に座っていた、見た目60代中盤のおっさん(腹が立ったので「おっさん」呼ばわりさせてもらう)が、
途中まで割と大人しくしていたのに、
クライマックスに差しかかるあたりから、
急にカバンやら、持っていたビニール袋をカサカサゴソゴソいじり出す、
という行為を始め(目視確認していないが、音の質感でビニール袋というのはわかる)、
その音のせいで最後の方は、
けっこう気が散る厳しい状態で、映画を見続けなければならない羽目に陥ってしまった。
ほんまに、あのおっさん・・・。
本編が始まる前に喉に絡んだ痰を「カッー!」とやり出したりして(さすがに吐きはしなかった。やったら即刻、スタッフに報告しに行っていたが)、
「あ、今日ちょっと嫌な予感する・・・」と思っていたが、いざ映画が始まると割と大人しめ。
咳払いが2、3回あったくらいで、途中からおっさんの存在などあまり気にならなくなっていたが、
前述のように、「何が気になるんか知らんけど、今、映画も佳境に入っている中、それやる必要ある?」と、
ビニール袋をガサゴソガサゴソ、クシャクシャクシャクシャ・・・。
本編が終わって、字幕が流れている間もずっとガサクシャ音を鳴らしているのである。
僕は映画を見るにあたっては、なるべく映画館で見たい人間なのだが、
たまにこういう「事故」に遭う。
映画館に行く以上、こればっかりはどうしようもないが、本当にマナーは守って欲しいものだ。
映画館を出てからも、少し残念な気持ちで、
なんばの商店街を歩いていたのだが、
駅に向かう途中、お笑いコンビかまいたちの山内さんとすれ違った。
僕は基本的に好きな芸能人を街中で見かけると「今日はツイてる」と思うミーハーな人間なので、
目撃して「あ、山内さんや」と思った瞬間、
さっきのガサゴソ親父の事を忘れてしまった、というか、どうでもよくなった(笑)。
これが芸能人パワーか。
なんとなくプライベートっぽかったのでお声がけしなかったが(方向的にグランド花月か、本社ビルに向かっていたかもしれない)、
「こないだの都市伝説見ました。良かったです。応援してます。」くらい言っても良かったかな・・・。
たぶん山内さんを見かけなければ、家に帰るまで、あのおっさんのモヤモヤを引きずっていたかもしれない。
なので、あそこであの場所を歩いていた山内さんには感謝している。
山内さん、この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございます。
まさか山内さんも、歩いているだけで感謝されているとは思わないだろう。
・・・さて、映画のレビューだが(笑)、
もういい?(笑)
ここまで1200文字くらい書いた。
なんか疲れてきた(笑)。
まあ、それは冗談として、
「クーリエ:最高機密の運び屋」である。
冷戦時代、ソ連とアメリカの緊張がピークに達しようとしていた頃、
イギリスに住むセールスマン、グレヴィル・ウィンは、諜報機関MI6から、ソ連側の裏切り者が提供する機密情報の運び屋としての仕事を依頼される。
ちなみに「クーリエ」の意味は下記の通り。
(Wikipediaより引用)
クーリエ(英語: courier)は、本来は外交官業務の一環で、外交文書を本国と各国の大使館・公使館等の間、あるいは大使館・公使館相互間などで運搬する業務のこと。
普通のセールスマンなら怪しまれにくい、という僕たち一般人からしたら迷惑極まりない、無茶苦茶な依頼なのだが、
これが実際にあった話だというのだから驚く。
ウィンは初め「馬鹿げたことを」と、MI6からの依頼を断るのだが、説得されて、渋々運び屋の仕事を引き受けることになる。
そして言われた仕事をそつなくこなし、
MI6の人間からは「お疲れさん」という事で、任務から解放されるのだが、
その仕事の過程で知り合った「ソ連の裏切り者」オレグ・ペンコフスキー(通称アレックス)の行く末が気になる。
ウィンとペンコフスキーの間には、「秘密の仕事」を通して、立場を超えた、友情とも言えるような人間としての心の繋がりが芽生えていたのだ。
ペンコフスキーは家族と共に西側に亡命したい旨をウィンに打ち明けており、
ウィンもMI6に、ペンコフスキーの亡命の手助けをしてあげて欲しいと打診するのたが、
MI6は「これ以上の深入りはできない」として、ウィンの頼みをいったんは退ける。
結局、ウィンは危険を犯すことを承知しながら、ペンコフスキーの亡命達成のため、「あともうひと仕事」に関わることになる・・・というストーリー。
派手な演出やアクションはほぼなく、
思っていた以上に地味な映画であったが、
全編を通して緊張感が張り詰めた秀作。
戦闘シーンなどもないが、これも「戦争映画」の一形態であると言える。
見ていて、やっぱり「戦争は嫌だな」と。
主義、思想にどっぷり浸かった人間(この場合は共産主義側の人間)の非情ぶりには、
この後の時代の流れを知っている僕からしたら、ある種の哀れささえ感じる。
「こんな(非人間的な)事に、人生を捧げて・・・」と。
だいぶ前に「善き人のためのソナタ」という映画を見た事があるのだが、
あれを知っているだけに、共産主義側の人間に対して「まあ、行き着く果てはあんな感じなんだけどね。」と、ああいった共産イデオロギーを賛美している(していた)側に対しては、僕は悲しみしか感じない。
まあ、だからといって今の資本主義が至高とも言えないのだが・・・。
何はともあれ、期待を裏切らない出来の映画だった。
僕の評価は100点満点で89点。
それにしても、ベネディクト・カンバーバッチは柔軟で多彩な役者だ。
ドクターストレンジのようなヒーローを演じたかと思ったら、このようなシリアスな映画に出ていても、しっかり馴染んだ感じを出してくる。
もうすでに「名優」の域じゃないだろうか。
「ベネディクト・カンバーバッチ」という名前の響きも、日本人の僕の耳からすると素敵な響きだ。
個人的には、スリランカの首都
「スリジャヤワルダナプラコッテ」並に何回も言いたくなる(笑)。
というわけで、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ちなみに話の流れの中で紹介した、
「善き人のためのソナタ」もとても良い映画なので、未見の方は是非。