シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「TITANE/チタン」 カンヌのパルムドールに輝いた、怪作中の怪作。はっきり言って好きになれなかったその理由は・・・。

 

昨日は、なんばパークスシネマにて

「TITANE/チタン」を鑑賞。 

 

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2021年にカンヌ国際映画祭で、

最高賞のパルムドールに輝いた本作。

 

幼い頃の交通事故で、

側頭部にチタン製の金属プレートを埋める

手術をした女性が辿る数奇な人生を描いた作品。

 

ちなみに今回のレビューは、

内容を明かす記述が多いので、これから見たいと思っている人には、

これ以降を読むのはおすすめしません。

 

僕の映画レビュー記事を、以前から継続して読んでいただいている方の中には、

うっすらお気づきの方がいるかもしれないが、

僕は、自分が「面白くないな、これ」と思った作品については、

けっこうネタバレで紹介する傾向がある。

 

その理由は、

「別にお金と時間をかけて、この映画見る必要ないと思うよ。だから僕としては、もうここでバラさせてもらうね」

という、僕の考えからである。

 

自分勝手な考え方だとは思うが。

 

なので今後も、僕の独断ではあるが、

記事のタイトル部分で、映画タイトルの前に

(重要部のネタバレなし)とか、

(核心部のネタバレなし)といった、

「ネタバレなし」と書かれていないものについては、

基本、ネタバレのレビューである可能性が高いことを、今ごろですが(笑)お知らせしておきます。

 

さて映画の話に戻るが、

今回、僕はこの作品を見るにあたって、

あらすじなどの事前情報をあえて頭に入れずに、

「カンヌのパルムドールを獲った」という事実だけを知った状態で鑑賞した。

 

結論から言うと、

「えー?これがカンヌの最高賞?ガッカリやわ」である。

 

かく言う僕も、

カンヌ国際映画祭で「最高賞」の位置付けであるパルムドールの、

歴代全作品を見たわけではないので、

「カンヌたるものが・・・」といった論調で語っているつもりはないのだが(逆に、そんな論調で語る人がいたら、それはそれでイラッとする)、

この映画を見終わった瞬間、

「もっと他に良い作品がなかったの?」と思ってしまった。

 

まあ、なんせ「シュール」な作品なのだが、

僕がこの作品に対して「どこがいいの?これ?」と思った最大の理由は、

シュールな描写や設定ではなく、

ストーリーの圧倒的な「工夫のなさ」と「作り込みの甘さ」である。

 

一応、見ている途中で、

飽きたり、ダレたりということは、自分としてはなかったのだが、

最後まで見終えた時に、

物語として何も唸らせるものがなかったことに気がつくのである。

 

主人公のアレクシアは、

頭にチタンプレートを埋め込んでから、

なぜか車に対して異常な愛着(どころか性愛の対象になる)を持ち始めるのだが、

それに加えて、とってつけたような「連続殺人犯」という設定。

 

この「なぜ彼女が、自分に関わる人間を次々と殺していくのか?」というあたりの説明、

そうした行動に及ぶ背景や理由を、

この映画では、全くと言っていいほど描いていない。

 

基本的に僕は、

「この殺人者は、どういう経緯を経て、このような反社会的行為を行うようになったのか?」

を、さらっとした感じでもいいから、

ある程度、説明するシーンなりを用意していた方が、

物語に重厚性を持たせやすい、と思っている。

 

もちろん、反社会的行為を行う人物について、

全ての映画において、

その犯罪者の犯罪者たる所以や、

背景説明が必要、

とまでは思わないが(例えば、前回の記事の中で紹介した「ロボコップ」に登場する犯罪者グループに対して、「なぜ彼らはこうなったのか?」の詳しい説明を優先的に望んでいる鑑賞者はほとんどいないだろう)、

 

この「チタン」については、

僕個人としては「で、なんで、そんなに殺すの?」という動機の説明は欲しかったし、

単純に知りたいと思った。

 

頭にチタンプレートを埋めてから、

10年かそこら経過して、

大人になるまでの人生的変遷、人格形成の描写をすっ飛ばして、

いきなり異常行動を起こしていくのだから、

受け手としては、正直、戸惑ってしまったわけである。

 

ストーカーのようにアレクシアを追いかけ回す男を彼女が殺す、

最初の殺人のシーンでは、

僕も「え!そこまでする?!」となって、

それからの展開に興味津々になったが、

最初のストーカー気味の男は、殺すに至った動機がまだ分かるとして、

その後、特に嫌なことをされたわけでもないのに、

同業者の女を殺すあたりから、

「いや、結局コイツの心の何がそうさせんねん?」と、そればかり気になってしまった。

 

まあ、彼女はサイコパスなんだろうけど、

それならそれで、少女期のアレクシアの異常性を見せるシーンはもっと欲しかったところ。

 

殺人を犯したアレクシアは、

その後、警察の手から逃れるために「そこまでするか」といった行動を起こして、

「別人になりすます」のだが、

そこからもう、僕はことあるごとに

「いやいや、おかしいやろ」と、ツッコミの連続。

 

そんな事を言うと、

この映画を絶賛している人からは、

「これは考えて見る映画ではない。感じろ」と、

ブルース・リーの名セリフのようなことを言われそうだが、

僕はシュールやファンタジーの中にも

「そこを超えてしまうと、グダグダになる一線」というものが存在すると思っていて、

中盤以降は、

「なんでコイツ(アレクシア)が、

屈強な男たちに混じって、消防隊の一員として受け入れられてるの?」というところで、

興醒めしてしまう。

 

いくら消防隊の隊長の意向と権力が幅を利かせているとは言え、

「そんなわけないやん」と。

(この隊長が、別人になりすましたアレクシアの事を、長年行方不明になっていた「実の息子」と思い込んでいる。ややこしく感じるかもしれないが、映画を見てもらえれば、どういうことかすぐわかる)

 

一切、言葉を発しない、ひ弱な男(くどいようだが、もちろんアレクシアは女である。しかし逃亡者であるが故に、別人物になりすましているので、言葉を発しないのも自分の素性をバラさないためだ)が、

 

厳しい試験や訓練を通過しなければ、なれないであろう消防隊の一員として共に行動している(さすがに消化活動には参加しない)ことに、奇妙な違和感しか覚えないのだ。

 

シュールで、ぶっ飛んだ作品だからといって、

「なんでもあり」は通用しないと思うし、

もう一度言うが、

シュール以前に、物語として作り込みが甘い。

 

この作品の最大の焦点となっている

「アレクシアと車との関係」、

「アレクシアの体に起こる変化」については、

そこは「シュール」のままで、

科学的根拠とか整合性がなくても、

僕は良いと思っている。

 

そこは「考えるな。感じろ」で構わない。

 

けれど、

社会の中における人間同士の関係性や、

人間の心理に基づく行動パターンの中にも、

「シュール」を延長して持ち込んでいくのはいただけない。

 

いや「シュール」の延長というよりかは、

これは「ストーリーの組み立て方」や、

「人間同士の会話の基本的やりとり」

といった根本的な部分で、

監督の詰めが甘い、と言えるかもしれない。

 

僕が「なんで?」と思ったシーンの一つが、

とある家庭から緊急通報があって、

アレクシア含む消防隊一行が、その家に駆けつけるのだが、

そこには中年の男性が、胃の内容物を嘔吐している状態で床に倒れているのである。

 

その男性の姿を見た瞬間、アレクシアは目を背け、自分が嘔吐しそうになるのだが、

僕は「いやいや、ちょっと待てよ」と。

 

「お前、自分でもっとエグいことやってるし、その目で見てるやん。

それが、吐いて床で倒れているだけの中年の男を見たくらいで、

なんで自分が吐きそうになるくらい目を背けるねん?」と、違和感しか覚えなかった。

 

そして最後の、アレクシアと、

アレクシアのことを自分の息子と信じている(または信じたい)消防隊長の親父とのクライマックスについても、

親父の、状況の瞬時の受け入れ具合に、

「もうなんでもありかい」という冷めた感想しか抱けない。

 

その前に、それまで一切、口を利かなかったアレクシア扮する「息子」が、

親父がお尻に注射(詳しい説明はなかったが、おそらく筋肉増強剤だろう)を打っている現場を見て、

「病気?」と言葉を発したのに対して、

親父が「いや違うんだ。これは老いだ」と、

すんなり返すのも「おかしいだろう?」となってしまった。

 

親父が何を質問しても、言葉で返さなかった息子が、

逆に親父に対して、突然質問してきたのだから、

親父はそこにもっと感動してもいいはずだし、

言葉を発してくれたことに親父の感情が揺さぶられるカットくらい挟んでもいいはずだ。

 

そこに至る前に「なんで、お前は何も喋らないんだ!」と親父が憤っているシーンがあるだけに、余計にそう感じたし、

そもそもの話だが、

最後まで見終わった時に、

「結局、頭のチタンプレートと、

その後の展開、関係ないやん」と思った(笑)。

 

「こんな設定を思いついた」

「これはある種、芸術的なシーンになりそうだ」

「こんな描写は、みんなショックを受けるに違いない」

を思いついたは良いが、

それに巧妙なストーリー展開を絡めて観客を惹きつける、

という努力は捨てて(というか、それができる力量がなかったのかもしれない)、

「見た目のインパクト勝負」に打って出たら、

「一筋縄ではいかない作品を選ぶ傾向のある」カンヌに引っかかった、という感じだろうか。

 

サイコパスと言えるアレクシアが、

ベテラン消防士の親父のことを、

徐々に本当の父親を見るような目に変わっていく過程の描写も、

まあ浅いし、薄い。ペラッペラ。

 

何も心を震わせるものがなかったし、

「で、何が言いたいの?結局」という感想しか持てなかった。

 

個人的には、全然良い映画と思えなかったなあ。

 

繰り返すが、これがカンヌのパルムドールか。

 

M-1グランプリなんかも、あえて誰とか言わないが、

年によっては「え?この人らが優勝?」という年があった。

 

カンヌ国際映画祭も、そういう年は今まであっただろうし、これからもあるのだろう。

 

僕の評価は100点満点で、20点。

少し期待していただけに、大きな肩透かしを食らった。

 

まあ家族はもちろんのこと、

誰かと一緒に見ることをおすすめできるタイプの映画では絶対ないので、

そこはくれぐれもお気をつけくださいね。

 

間違って家族で見た日にゃあ、それはもう・・・

茶の間が凍りついて、全員凍死ですわ。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。