シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「モーリタニアン 黒塗りの記録」 いったい悪の元凶は何なのか?

昨日はTOHOシネマズで、

モーリタニアン 黒塗りの記録」を鑑賞。

 

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9.11同時多発テロ事件に関与したという容疑で逮捕され、

キューバグアンタナモ湾収容キャンプに拘束されたモーリタニア人男性と、

彼の拘束を不当として、その身柄の解放を求めた弁護士の闘いを描いている。

 

物語は実際に拘束されていたモハメドゥ・ウルド・スラヒ氏が著した手記の内容に沿って展開されるのだが、

この手記に書かれた、グアンタナモにおいてのスラヒ氏への軍関係者による拷問行為がとにかく酷い。

 

人としてこんな事が許されるのか、と。

 

現代のアメリカのような近代国家においても、このような人権を蹂躙しているとしか思えない・・・

もう少しくだけた言い方をすると

「人を人として扱っていない」ような拷問が行われていたのかと思うと、恐ろしいという言葉しか出てこない。

 

このような拷問が行われていた事を、米国政府と、実際に拷問行為を行った軍部は、

その記録文書をひた隠しに隠そうとし続けたのである。

 

当時、一刻も早くテロに関わった容疑者を見つけ出し、テロ組織の壊滅に向けて躍起になっていた米国側としては、この件は何としても有罪という結果に持っていきたかったのだろう。

 

劇中では、スラヒ氏の起訴を模索する軍部の、自白を引き出そうとする強引な行為が生々しく描かれている。

 

拷問を基盤にしたこのような行為は、僕には当然「悪」としか思えないのだが、

 

この映画を見ているうちに、僕がふと思ったのは、「このようなことに至る、そもそもの悪は何なのだ?」という事。

 

あのテロ事件が多くの尊い命を奪った、という事実は誰の目にも疑いようはなく、実行犯並びに首謀者は明らかに「悪」である、と断定できるだろう。

 

あの頃、旅客機がビルに突っ込む映像を見て、その首謀者が、国際テロ組織アルカイダを率いるウサマ・ビン・ラディンである、とニュースで知った時、

僕を含め世界中の多くの人が、

イスラム原理主義の悪を、アメリカの正義でやっつけろ!」となったのではないだろうか。

 

僕も当時は、あまりよく世界の事がわかっていない若者と言える年齢で(当時24歳)、

ただただテレビに映る光景を見て、「この悪に対して報復を!」と思ったものだが、

後から歴史を勉強すると、この事件につながる種を蒔いたのは、そもそもアメリカじゃないか、という事実にぶち当たる。

 

アフガニスタンソ連と戦う、のちにアルカイダとして世界にその名を轟かせることになる武装勢力に、武器を提供したりして後方支援していたのは、他ならぬアメリカなのだ。

 

このブログではあまり専門的な話に読者の皆さんを巻き込みたくないので、すごくざっくりした言い方をさせてもらうが(ざっくりしすぎて、「違うぞ!」という批判もあるのは覚悟の上で書きます)、

 

そのアメリカが、ソ連が撤退した後に

「じゃあ、僕たちはこれで。」と、さっさと中東から立ち去らずに、

アフガニスタンサウジアラビアなどに軍を駐留させ続けたりしたので、

「ちょ、お前ら、いつまで俺らの社会に介入するつもりなん?」とビン・ラディンがキレて、

後にあのテロに繋がった、と僕は認識している(ざっくりしすぎ?まあけど、こんな感じでいきます)。

 

じゃあ、アメリカがそもそもの「悪」なのか?と問えば、それはあまりにも短絡的であるし、暴論であるとも言えよう。

 

アメリカがアフガニスタンの紛争に加担したのは、ソ連という存在がアフガニスタンに侵攻したからである。

 

当時のアメリカとソ連は、資本主義(民主主義)と共産主義社会主義)のイデオロギーがぶつかり合い、犬猿の仲。

 

アメリカとしては、

共産主義アフガニスタンを牛耳られては不味い。」と、アフガン介入を決めたのである。

 

では今度はソ連、言い換えれば共産主義勢力が悪なのか?

というと、これも一概に「絶対悪」と言いきれないものがあるだろう。

(いや、それは「悪」に決まってるだろ!共産主義だぞ!と思った人がいれば、ちょっと待ってください)

 

このソ連のアフガン侵攻には諸説あるが、

これまたざっくり言うと、アフガニスタンで生まれた共産主義政権に対して、

イスラム系反対勢力の武装行動が高まってきていたので、

ソ連は「これは不味い。」という事で、アフガニスタンに侵攻したわけである。

 

ここまで書いて、読者の皆さんに誤解してほしくないのは、僕は「誰も悪とは決めきれない。」と言いたいわけではない。

 

ここに書いた一連の争いは、確実に多くの人間の命を奪っているのである。

それこそが「絶対悪」と言えるし、いかなる理由であれ、人の命を奪ったり、人権を貶める行為は断罪されるべきだと僕は強く思う。

 

では、この歴史の流れにおいて連綿と続く、暴力の連鎖は何なのか?と考えると、

あくまで僕の考え方だが、それは、

それぞれみんな「自分の方が正義」と信じているのだ。

 

映画の拷問の話に戻るが、「特殊尋問」という名の拷問を担当した軍人も、

「正義の名の下に」あのような卑劣でおぞましい行為を行ったのである。

 

悪という概念が先にあるとしたら、それに対抗する正義の概念は必然的に生まれるのだろうが、

今度はその正義が、ある時点から、悪としか言いようのない行為に変容していく・・・。

 

何という皮肉な矛盾だろう。

 

凶悪な犯罪を犯した者を「死刑にすべき!」という世論の形成も、人の心にある「正義感」が強く喚起された結果だと思うのだが、

それは真の意味での「正義」なのだろうか?

どうなのだろう?

 

そして、これらの情報は、僕ら一般市民は、よほどの権力側の中枢にいる立場でない限り、そのほぼ全てをテレビ、新聞、雑誌、ネットなどの「メディア」を通して得るのである。

 

要するに僕らは、メディアに提供された「正義の情報」をもとに、あらゆる事件をジャッジしているわけだ。

 

「正義」とは何なのか?

僕には未だに明確な答えがわからない。

 

しかしそんな中、ベネディクト・カンバーバッチ演じる軍側の弁護士がとった勇気ある決断。

あれは紛れもない「正義」だと僕は思った。

 

少し脱線してしまったが、

今回は、そのような頭が痛くなるような事をぼんやり考えながら、この映画を鑑賞していた。

 

僕のこの作品に対する評価は100点満点中、90点。

 

余談だが、劇中の拷問シーンにおいて、

おそらく「被拘束者の精神の安寧を妨げる目的」だと思うのだが、

「部屋で超大音量のヘビーメタルが常に流される」という手法が登場する。

 

これは、いちメタルファンとしては複雑な気持ちになった。

 

うーん・・・ここだけ切り取って「メタルって、やっぱり野蛮だし、危険な音楽だよね」という印象を世間一般の人にステレオタイプとして持って欲しくないのだが・・・(苦笑)。

 

ま、考えすぎかな、それは。

 

今回は、考えがまとまりきらない文章で読みづらかったかもしれませんが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。