キアヌ・リーブス主演のマトリックスシリーズ最新作「マトリックス レザレクションズ」の公開が来月に迫っている。
という事で、今日は自宅で、
22年前に劇場に見に行ったものの、
体調不良とそれに伴う腹痛で、物語の中間のあたりをごっそり見逃したままになっていた「マトリックス」を鑑賞。
ストーリーはもう、この映画においては、あらためて僕が語らなくてもいいと思うので割愛。
そう、あれは僕が22歳の頃だった。
当時「マトリックス」は、公開前からかなりの話題で、僕も見る前からかなりの期待をしていた。
で、その溢れんばかりの期待を胸に見に行ったのはいいのだが、
その日は確か(もう20年以上前なので、だいぶ記憶が曖昧な部分がある)、
映画が始まる前からあまり体調が良くなく、
正直、オープニングから「あー、今日しんどいなあ・・・」と、あまり映画の内容が頭に入ってきていなかったような気がする。
挙句の果てには、お腹が痛くなってきて、
さらに映画の内容が頭に入ってこなくなり、
確か預言者のおばさんに会いに行くシーンあたりで、ついに我慢できず漏らしてしまった。
というのはウソで、
一度、席を離れトイレに行った(すいません。笑わせたいつもりで調子に乗ってしまいました)。
かれこれ15〜20分くらい、トイレに篭っていたかもしれない。
戻ってきた時には、いまいちストーリーの流れが把握できていなかったのだが、
「せっかくお金を払ったんだし・・・」という事で、とりあえず最後まで見た記憶がある。
中途半端なかたちで最後まで見てしまった事と、見る前に期待しすぎていたせいか、
アクションシーンや、当時の最先端の特殊効果についても、
「思ってたほど、凄くなかったなあ。」
という感想を抱いてしまったので(そんな風な感想を抱いたのは、やはり体調不良が大きく影響していたかもしれない・・・・って、いや絶対それだろ)、
もう一度調子の良い日に劇場で見直す、という事はしなかった。
どうでもいい事だが、当時は僕もまだ若く、今と違って、夜通し遊び呆けていた日が多かったので、体調の乱高下が激しかった。
DVDが出た後でも、やはりその時の「思ってたほどでもなかった。」の印象が残っていたのでスルー。
当然、その後の続編も見ることはなく現在に至るのだが、
冒頭紹介したマトリックスシリーズの最新作「レザレクションズ」が、
2003年公開の「マトリックス レボリューションズ」から18年の時を経て公開されるというので、
「これも何かの機会かな。」と、
第一作目の「マトリックス」をあらためて見てみることにしたわけである。
ちなみに、劇場で映画を鑑賞中に、トイレで一時的に席を離れたのは、僕の記憶している限り、この「マトリックス」が唯一で、当時はけっこう悔しい思いをした思い出がある。
トイレに篭りながら、
「クソ!(←ウ○コだけに)これが仮想現実だったら良いのに!(←マトリックスだけに)」と、悔しさを滲ませたものだ。
(また文章で遊んでしまいました。あまり面白くないので、もう2度としません。)
・・・さて、22年ぶりの「マトリックス」の感想であるが、
「まあ、割と面白いよな。」という感じだ。
当時は「難解だ」とか「正直、わからない」という声も少なくなかったと思うのだが、
今回、僕がちゃんと見てみて思ったのは、
「普通にわかりやすい話やん。」という事である。
超絶ざっくり言うと、
AIが人間を支配して脳と体を乗っ取り、
仮想現実の世界を人間に見せ続けている。
人間はそうとは知らずに、
「朝決まった時間に起きて、服を着替えて、会社に出掛けて、上司に怒られて、帰ってから残り少ない時間を自分が本当にしたい事に費やす・・・これが現実。」という風にみんな思い込まされている、という話である。
劇中、自分の置かれている状況が把握できないネオ(キアヌ・リーブス)にモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)が、
ご親切に説明してあげているシーンもあるので、僕からしたら、この映画の一体何が「わからない」のかが、わからない(あ、ちょっとイヤなやつ?僕?)。
当時、ダウンタウンの松本人志さんでさえ「わからない」とおっしゃっており、
「あのイカみたいなやつは何やねん?」とツッコんでおられたが、
あれも要するにターミネーターと一緒で、人工知能がつくった監視ロボットが、反乱しようとしている人間を潰しにかかってきている、という至極シンプルな話である。
(松本さんに対して喧嘩を売っているわけではないので悪しからず)
なぜ「マトリックス」は一部の鑑賞者に、このような「混乱」をもたらしたのか?
それは、おそらく1999年当時というと、
その後、ネットや人工知能が人間の生活にどのような変化を与えるのかが、ほとんどの人にとって想像できていなかった頃でもあると思うので、
「マトリックス」で提示された世界観を受け入れる素地が、まだあの頃の人類には未成熟だったのかな?というのが、僕の考えるところである。
「アバター」という、ジェームズ・キャメロン監督作の大ヒット映画があるが、
あれが公開されたのが2009年だが、
この頃になると「自分の肉体とは違う別の体に、自分の意識を転写して、自分が今まで過ごしてきた世界とは別の世界で生きる」という設定に、
「わけがわからない」
「理解が追いつかない」という人は、
私見ではあるが、ほとんどいなかったのではないだろうか?
少なくとも、僕のまわりにはいなかった。
2009年にもなると、インターネットは人々の生活にけっこう根付き始め、
一時話題になった、ネット上に存在する仮想世界「セカンドライフ」の運用が始まって数年経った頃でもあるので、
(セカンドライフ、今でもあるのかな?)
この頃には、世の人々はそのような概念を、完全には体験、理解できていなくても、
「そのようなものがある」という認知くらいはできるようになっていたと思う。
「マトリックス」で展開される「仮想現実の世界」と、「アバター」で展開される「別の肉体を駆使した体験」を同列のように扱うのは、少々乱暴なような気がしないでもないが、
「今まで生きてきた世界こそが自分にとっての唯一の現実、とは言い切れない。」という点においては、
一致するものがあるのではないだろうか。
「マトリックス」の世界観を理解する一つの要素として、「シミュレーション仮説」というものがある。
哲学や量子物理学、宇宙論にまたがる仮説なのだが、
理解できなくとも、事前に概要を掴んでさえいれば「マトリックス」が難解な映画でも何でもない事がわかる。
スピリチュアルや都市伝説などのサブカルチャーが好きな人たちの中にも、
「僕らが体験している三次元世界こそが、唯一無二の本当の現実かどうかは疑わしい。」
と思っている人が割といると思うので(実は僕もその一人だったりする)、
そういった精神世界的な下地がある人も、
「マトリックス」で描かれる世界観をすんなりと受け入れる事ができるとは思う。
(シミュレーション仮説について詳しく読みたい人はこちらにWikipediaのリンクを貼っておきます↓)
というわけで、「マトリックス」を久しぶりに「最初から最後までちゃんと見た」僕の評価としては、
100点満点中、82点。
視覚的にはやっぱり「古い」と思わせるところがあるけど、それはまあ仕方ないので、そういう部分は今回は評価のポイントに入れず。
とりあえず、最新作「レザレクションズ」の公開までに続編の2作を見ようかなと思う。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。