5月14日、なんばパークスシネマにて、
「マイスモールランド」を鑑賞。
2022年の日本映画。
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中東地域などで弾圧を受けたクルド人難民として、
住む場所を追われ、
日本の埼玉県に移住してきたチョーラク一家。
チョーラク家の長女で、
日本の高校に通うサーリャの夢は、
小学校の先生になる事。
大学に通うためのお金を稼ぐため、
父には内緒で、東京のコンビニでアルバイトをしているサーリャであるが、
彼女は自分がクルド人である事を隠し、
仲の良い友達には、
「自分はドイツ人」だと公言している。
「国を持たない民族」として、
迫害と差別を受けてきたクルド人という自分の出自を、堂々と明らかにできない彼女。
サーリャの父マズルムは、
一家の難民認定を申し出ていたが、
日本の当局からの回答は、チョーラク一家を「難民とは認めない」という、
一家にとって「非情」ともいえるものだった。
難民として認められなかった場合、
日本での就労は認められず、
許可無しには、居住している県外への移動も認められない。
行動の制限をされたチョーラク家であったが、
この規則を従順に守っていては、
生活の糧を失ってしまう。
違法とわかりつつも、
以前と変わらぬ生活を続けたサーリャ、マズルムであったが、
ある日、マズルムが警察官に話しかけられた事がきっかけで、
一家の運命は大きく変容していく・・・
という、あらすじ。
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「クルド人」及び「クルド民族」という方たちの存在を僕が知ったのは、
たしか2016年前後だろうか。
極端なイスラム原理主義を掲げ、
世界各国でテロ行為を行うISISの活動に対抗するため、
クルドの女性兵士の活躍がメディアで報じられたのがきっかけである。
恥ずかしながら、
それまで「クルド」という言葉さえ知らなかったし、
その方たちが自分たちの国土を持てず、
居住する地域において、
様々な迫害や差別を受けてきた背景なども全く知らなかった。
この「マイスモールランド」は、
監督が取材した在日クルド人の方々のお話を基に作られたフィクション作品であるが、
日本におけるクルド人の生活の現状、
難民受け入れの現状を、
おそらく何も知らない、ほとんどの日本人に伝えてくれる貴重な作品であると思う。
映画を見終わった後、
僕は、日本の難民受け入れの「認定率」は、
諸外国と比べてどれくらいなのだろう?
と気になり、調べてみたのだが、
出てきた数字に驚きを隠せなかった。
以下は参考にさせていただいたサイトの引用画像である。
(参考サイト↓「難民支援協会」)
https://www.refugee.or.jp/refugee/japan_recog/
画像は2020年のデータであるが、
認定率として、グラフ上で二番目に低いフランスの14.6%と比べても、
異常に低い日本の難民認定率。
たったの0.5%である。
なぜこんな数字になるのか、
もっと知りたいという方は、上記に紹介したサイトの内容を是非読んでいただきたいが、
それにしても、である。
映画の中で描かれるサーリャの追い込まれ方を見ていると、
「いや、日本さあ・・・ちょっとひどくない?」という、ストレートな感想が出てくる。
入国管理局に拘束されたマズルムが、
家族との面会の場で、
自分たちを支援している立場の弁護士に放った皮肉、
「(この真夏に)部屋でクーラーはつけられず、出てきたご飯は冷たい。
ここは最高の『お・も・て・な・し』国家ですよ」
には、
これがフィクション作品であるにも関わらず(といっても、かなりノンフィクションに近い、と言っていいだろう)
僕は、いち日本人として申し訳ない、という気持ちを憶えたものである。
滝川クリステルを責めるつもりはないが、
彼女には、まだこの映画を見ていなかったら、ぜひとも見てもらいたいと思う。
難を逃れ、懸命に生きようとしている人を、
生きさせようとしない国、日本。
これが「先進国」なのだろうか?(まあもう、すでに「衰退国」と言ってもいいのかもしれない)
自分のアイデンティティに苦しみ、
生活に苦しみ、人間関係に苦しむサーリャが、
徐々に精神的に追い込まれていく姿は、
見ていて非常につらく感じるものがあった。
最終的に、
家族のためを思って父親が選んだ決断は、
この国でそれなりに不自由なく(紆余曲折あったが)生きてきた僕の価値基準と比べると、
あまりにもショッキングな決断である。
こうでもしないと「難民」と認めそうにない日本って、何なのだろう?
(実際、このマズルムの行動がきっかけで、サーリャたちを国が難民認定するのかどうかも、映画を見る限りはわからないのだが)
そのくせ、海の向こうの「赤い国」に対しては、
彼の国が大発展を遂げている最中も、
せっせと援助して、
40年間で3兆円もの支援金を送り続けていた日本。
何なのだ、この国は?おかしくないか?
何はともあれ、この映画は、
島国のDNAの成せる業というか何というか、
この国の閉鎖的な部分をありありと見せてくれる、
とても価値のある一本であると思う。
僕の評価は100点満点で、90点。
本当に「できるだけ多くの人に見てほしい」と思える作品であったが、
「うん?」と疑問に思うこともあった。
自分のことを、
学校で仲の良い女子生徒に「ドイツ人だ」と言っていたサーリャ。
しかし、学校の入学の際には、
自分の出自をごまかさず、明らかにしなければいけないはず。
先生方は、サーリャが「クルド人」である事は、
知っておかなければならない事実であると思うし、
本来知っているはずだが、
入学手続きの時はどうしたのだろう?
おそらく、そこは「クルド人」と、
記載ないし報告していると思うが、
普通は新学年におけるクラスの自己紹介などで、
「○○から来ました、サーリャです」と言わなければならないシチュエーションが想像できるのだが、
映画の中で、
サーリャが自分の出自を友達に聞かれたのは、もう少し後になってからの感じである。
バイト先なら、まだ隠し通せても、
さすがに学校となると、出自をごまかすことは極めて難しいと思うのだが・・・。
このあたりは個人的に、
見ていて引っかかったというか、
「どうなんだ?」と感じた部分ではある。
最後に、チョーラク家の末っ子のロビン君。
この男の子が、顔も喋り方もめちゃくちゃ可愛い。
もう本当に可愛い(変な意味で言ってないぞ)。
特に、家族でラーメンを食べているシーンのロビン君が、とても愛らしく、
その姿を見ていると、
「こんな小さな子まで苦しめる日本って何なん?」と、
またもや怒りが湧いてくる僕なのであった。
あまり大々的に宣伝されておらず、
現段階では「知る人ぞ知る映画」という作品であるが、
多くの人に見てもらいたい作品だ。
という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。