僕は関西の朝のローカル番組「よーいドン!」の人気コーナー「となりの人間国宝さん」が好きで、毎日録画しているのたが、
火曜日(8/31)放送の回には心を打たれた。
円広志さんが、京都にある、シフォンケーキとランチを提供している「トライム」というレストランを訪れたのだが、
その店内には巨大なプラレールが組まれていた。
このお店の代表を務める方に「子供たちが笑顔で遊べる場を提供したい」という思いがあり、そのプラレールを作ったという事である。
この代表の方は、今まで看護師として、難病により余命宣告を受けた子供たちの終末期の緩和医療に携わってこられた方で、
そもそも、レストランの経営を始めたのも、子供たちを支援するお金を捻出するためだと言う。
この余命いくばくもない、死を目前に控えた子供たちとのエピソードを、代表の方が円さんに語るのだが、もう、その部分が泣けて泣けて仕方がなかった。
死を目前にした子供たちに「何か叶えたい夢がある?」「やってみたい事がある?」と聞くと、
返ってくる答えが「動物を撫でてみたい(イルカを撫でたい、だったかな?ごめん、ちょっとうろ覚えで、すいません)」とか、
「自転車を漕いでみたい(これは、はっきり覚えている)」とかで、
普通の健康な多くの子供が、日常的に当たり前のようにできそうな事を「夢」や「願い」として、訴えてくると言うのだ。
あかん、今、これを書いてても、放送を思い出して涙が出てくる。
当時、看護師だった代表の方は「自転車を漕いでみたい」という子供の願いを叶えてあげるべく、
担当の先生に「無菌室に、自転車を入れていいか?」と掛け合うのだが、
先生は「無菌室に自転車を入れるなど、とんでもないことだ。」と、この訴えを一蹴。
しかし、代表の方も食い下がらない。
「なぜなんですか?自転車もきちんと消毒すれば、問題ないでしょう?もう、あの子に残されている時間は残り少ないんですよ!」と。
先生は代表の方の熱い訴えに折れ、特別に了承。
無菌室に自転車を入れて、闘病中の子供に跨らせてあげた時の、あの喜びいっぱいの顔が忘れられない、といった類いの事を語っていた時、
もう僕はテレビの前で涙が止めどなく溢れて、仕方がなかった。
食事しながら見ていたのだが、
その手を止めて、画面を見つめながら、未来ある子供たちが病気のために亡くなっていく現場のお話を聞いていると、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
「なんで、こんなささやかな夢を持った子たちが死ななあかんのや・・・。」
僕の心の中で、物心ついた時から常に渦巻く、この世の中の不条理さ、理不尽さに対する悔しさが、これを見た時に一気に溢れてしまって、唇を噛んで画面の前で泣いた。
個人名など挙げないけど(挙げ出したらキリがなくて書ききれない)、メディアに名前が出てくるものでも、個人単位での関係の中でも、
皆さんそれぞれに「なんでこんな悪いヤツが、のうのうと生き延びてるの?」という人物が、多少なりともいるだろう。
「なんで、こんな悪いヤツがおいしい思いしてるの?」という人が。
僕は、汚い事をしつつもバレずに生きている大人(子供もいるだろうけど)や、
汚い事をしていてもそれを何とも思っていないような大人(あるいは子供)の方こそ死ぬべき、
などと過激なことを言うつもりはないし、
さすがにそこまで思っていない。
多分、そういう人は、どこかの時点でそれ相応の報いを受ける事になると思う。
あの放送を見た時に、
「世の中、なんかおかしい。」と、ただただ悔しかった。
今後も、こういった類いの事に限らず、
世の中のあらゆる不条理や理不尽さは、この地球から未来永劫、消滅する事はないのだろう、恐らく。
ただ、子供が病気で死ぬとか、大人が引き起こした事故でいきなり死ぬとか・・・ああいうのは、本当、どうにかならんもんかね・・・?
十数年前に、「デスノート」という漫画が流行ったが、あの反対の「リバースノート(生き返らせるノート)」をくれ!と、ふと今日思った。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。