世間はお盆休みだが、僕はそういった大多数の流れとは違うシフトの仕事をしているので、今日も仕事をしていた。
お盆とは正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ばれ、亡くなった人や先祖があの世からこの世に戻ってくる期間と言われている。
この時期になると否が応にも、亡くなった父と母の事を思い出す。
今日はこの場をお借りして、両親の死の顛末と、もしかしたら両親の霊がこの世に帰ってきていると仮定して(霊の存在はあまり信じていないけど・・・)、両親に僕のメッセージを書き記しておこうと思う。
父親は6年半前の冬のある日に自宅で倒れ、
救急車でその日のうちに緊急手術。
小脳出血だった。
手術自体は成功したものの、父は倒れる前から糖尿病という基礎疾患を抱えており、そのせいもあって予後の回復が芳しくなく、
日に日に衰弱し、その年の秋に亡くなった。
母親は、父が倒れてから入院先の病院に毎日、見舞いに通っていたものの、
父の手術の日から約2週間後あたりで、背中の痛みと息苦しさを訴え始め、まともに歩行するのもままならない状態になったため、
病院で検査を受けてみたら、肺に大量の水が溜まっていた。
悪性リンパ腫だった。
父は脳出血の後遺症で、歩行ができなくなり、その後、日を追うごとにだんだんと言葉も発せなくなり、認知症や妄想の症状も出始めた。
僕には専門的な事はわからなかったが、理性を制御している脳の部分が損傷を受けたのか、
健康な頃は温厚だった性格が影を潜め、看護師に対して暴言を吐いたり、見舞いに通っていた僕や僕の妹にも、
「今すぐ家に帰らせてくれ!」とか
「俺をここ(病院)に置いていくんか?薄情な息子やな!」と、叶わぬ要求をするようになっていた。
ある日、突然意識を失って目が覚めたら、見知らぬ病院で体を固定させられ、言葉を発しようとしても上手く発音できず自分の意思を伝えられない、立ち上がろうとしても足に力が入らない、
見舞いに来ていた自分の妻はある日からパッタリと姿を見せなくなり、
毎日、味気のない流動食を喉に無理矢理流し込み、夜は孤独に眠りに就く・・・
本当に父親にとって地獄だったと思う。
一方、母親は病名発覚後、即入院。
ほどなくして無菌室に入り、抗がん剤治療が始まる。
副作用で味覚は無くなり食欲は減退、髪の毛も抜け落ち、運動もできないので足腰も弱くなり日に日に痩せていく・・・
しかし、母は「根性」があった。
元々痩せ型で、見た目からして「肝っ玉母ちゃん」という風情ではないのだが、
一切泣き言めいた事を言わない。
さすがに、抗がん剤投与の副作用が出ている時は「気が滅入る」というような事を訴えていたが、
自分の置かれている状況、運命に対して愚痴や絶望を口にした事は、僕の記憶には残っていない。
母については、治療の効果もあってか、外出許可が出る機会も多くなり、家に帰ってこれる事が何度かあったが、父のいる病院へ赴く事は
母の担当医がなかなか許してくれなかった。
外出して良いとは言え、それは基本的に自宅で滞在することを前提にしており、
抗がん剤で体の免疫が極めて落ちている人間が、自分の入院先以外の病院に一定時間滞在する事はリスクが大きい、という事であった。
その後、母は父が亡くなる何日か前(はっきりした日にちは覚えていない)に、
外出許可が出た際、父のいる病院に僕らと赴き、父と再会する事になるのだが、
(これについても、母の担当医は当初かなり難色を示していたが、やはり「最後にせめて」という僕ら家族の想いを汲み取ってくれたのだろう、「長時間は避けて」という条件つきで許可を出してくれた。)
その後再び抗がん剤治療に入り、病院から出ることができなくなったので、
父のお通夜、お葬式に出席する事はできなかった。
父の葬儀の喪主は、長男である僕が務める事になったのだが、葬儀後、母に電話で滞りなく無事に終わりました、と伝えた時の
「お疲れ様。よう頑張ったね。」と、
嘆き悲しむようなトーンも一切なく、僕を労ってくれた母親のあの声は一生忘れない。
今となっては知る由もないけど、本当は病室で一人、泣いていたかもしれないな。
父が死んだ秋以降、母は順調に回復の途を歩んでいるように見えたのだが、2016年の年明けまもなくに体調不良を訴え再入院。
癌が全身に転移し、同年の春に帰らぬ人となった。
約40年近く連れ添ってきた仲の良い夫婦(本当に仲の良い夫婦、と言える夫婦だったと思う)の最後が、こんなかたちで終わるとは思わなかった。
人生とは、つくづく何が起こるかわからないものである。
この両親の死には、この一回の記事には書き尽くせないほど、お金の問題が絡んでくる色んな複雑な出来事や、家族以外の人たちとの複雑な人間関係、僕自身のこれまた複雑な個人的想い(主に両親が熱心に信仰していた宗教への僕の反発)が絡んでおり、
「その時がきた」と思ったら、もしかしたらまたブログに書き記すかもしれない。
最後に、お父さん、お母さんへ。
(2人とも冗談好きで、いつも僕は両親を笑わせていたので、多分こんな事を言うと2人が笑ってくれるだろう、というノリで書きます。他人から見ると悪ふざけに思えるメッセージかもしれませんが、僕の両親ならこのノリがわかってくれると思うので、どうかその点、暖かい目でお目通しください。)
・・・あれから6年以上の月日が経ち、僕も40代半ばのいい年したおじさんになりました。
いまだに結婚もせず、恋人もいない生活ですが、それなりに日々頑張っております。
ご安心ください。
・・・と、ここで一つお願いがあるのですが、願わくば「向こうの人」になったお二人に
守護霊力的なものがおありであれば、
おこがましいお願いではございますが、
現在片想い中の女性と僕を引き合わせるように仕向けてください(笑)。
向こうはいまいち男性としての僕に魅力を感じていないようで、それは僕の責任以外の何物でもないのですが、もうそろそろ、ちょっとここらで神通力的なもの、お願いします。
あとは僕自身の頑張りでなんとかしますので。
え?女を口説くくらい、お前の力で何とかしろ?
やっぱりダメですか・・・。
わかりました、頑張ります。
まあ、この想いが叶わなくても腐らずに元気に生きていきますよ。
僕がこの先「どうせ俺なんて」と、しょぼしょぼ落ち込んで、人様のお役にも立てず残りの人生を終えるなんて事は、
お二人の息子として絶対に避けます。
いつも見守ってくれてありがとうございます。
いつか向こうで会いましょう。バイバイ。