シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

映画 太陽の子

今日は水曜日。

TOHOシネマズウェンズデイという事で、

全国のTOHOシネマズの映画鑑賞料金が

1200円。

 

今日は「映画 太陽の子」を鑑賞。

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時は1944年。舞台は太平洋戦争末期の日本。

日本の戦局は大きな岐路を迎え、アメリカをはじめとする欧米列強国に対する形勢逆転のため、日本も今までの兵器とは一線を画する新型爆弾(原子爆弾)の開発に取り組んでいた。

 

京都大学で物理学を研究する石村修(柳楽優弥)は、核エネルギーが持つ科学的可能性に魅了されつつも、人を殺傷する兵器開発に自分が関わっているという葛藤を抱えている。

 

物語は、そんな石村修の自問自答する様子が、石村の幼馴染の世津(有村架純)と弟の裕之(三浦春馬)との間で繰り広げられる、激動の時代を生き抜いた若者たちの群像劇に織り込まれるかたちで展開していく。

 

この作品は昨年、NHKでドラマとして同名のタイトルで放送されたらしいが、

僕はそれを見ていないので、今回はそのドラマとは比較しようがない。

 

純粋に映画としての「太陽の子」の感想を述べさせていただく。

 

まず、素晴らしいと思ったのは演者さんたちの演技。

主演の柳楽優弥さん、有村架純さん、三浦春馬さん、田中裕子さん、國村隼さん、イッセー尾形さんなど、錚々たるメンバーをはじめ脇役の方々にいたるまで、物語に引き込ませる俳優の皆さんの演技力は素晴らしいの一言。

 

僕は演技経験など無いに等しい素人なので、どこがどう、と言うのを演技論的技法を用いて語る事ができないが、演者の皆さんが非常に卓越した能力を持ちつつも、それが鼻につかないような絶妙の着地点で演技されている事がわかるのだ。

 

この点に関しては鑑賞中、終始感嘆しながら見させていただいた。

 

今作は昨年、残念ながら逝去された三浦春馬さんの遺作という事であるが、

やはりその事実がもたらす感情を、作品中の役柄とは別物として扱うことは、自分としては困難であった。

 

三浦さんの登場シーンのたびに、やはり昨年の衝撃的な死の事実が脳裏によぎってしまい、自然と目頭が熱くなることしきり。

 

戦地に向かう兵士として、死の恐怖と戦う青年の役を演じきった三浦春馬さんにあらためて追悼の意を表したい。

 

・・・というところで、肝心の映画作品としての全体評価だが、

正直なところ、作品として何かこう「突き抜けた」ものがない、というのが僕の抱いた感想。

 

自分たちは本当に正しいことをしているのだろうか?という若き科学者の葛藤・・・しかし、

原子力の魅力に取り憑かれ、人間的倫理感の観点から見ると狂気とも思えるような、研究への没入ぶりを見せる石村青年にもう少しストーリーの比重を傾けると、より訴求力の強い作品になったのではないか?

と素人ながらに思ってしまったのだが、どうだろうか。

 

この作品は、いち科学者の苦悩と若者の群像劇を同時に見せようとした、いわゆる「おいしいとこ取り」を露呈してしまった感じがあって、

それが結果的に作品として「突き抜けない感」が出てしまっているような感じがしているのだ。

 

なんだか自分にはとても「惜しい」作品に思える。

 

あと、細かい部分で言うと、英語のナレーションが物語の進行中に挟まれる(誰の声だ?と思いながら鑑賞していた)のだが、

それが最後のシーンで石村と「会話」する形式になっていて、

一瞬、「え?これって、心の声と会話してるっていう解釈でOKなの?」と戸惑った。

 

どうも僕の勘では、あの英語の声は石村の心の中に響く「アインシュタインの声」と捉えたのだが。

違うのかな?

あともう一つ。

映画の本筋の評価ではないのだが、エンドロールに流れる福山雅治さんの曲。

 

これが映画の雰囲気と合っていない。

 

まあ、これに関しては色んな意見があると思うが、僕としては「えー?なんかこの曲はこの映画、この流れには違うわー。」と、なにかうまく説明できない本能的な感覚でそう思ってしまった。

 

別に曲そのものは悪くないと思うのだが・・・。

 

というわけで点数だが、

途中からは「ちょっと長いなあ」と思ってしまったし、最終的な消化不良感もあって、

100点満点評価で68点という感じ。

 

部分的に「良いなあ、このシーン。この台詞。」というものもあっただけに少し残念だった。