シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「音楽」 どちらかというと、好きなテイストではあったのだが、僕が見たかったものとは違った。

 

今日は自宅でアニメ映画「音楽」を鑑賞。

 

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大橋裕之の原作「音楽 完全版」を元に、

岩井澤健治監督が「ロトスコープ」という制作技法を用いて、ほぼ全ての工程を一人でこなしたという本作。

 

ロトスコープというのは簡単に言うと「モデルの動きをカメラで撮影し、それをトレースしてアニメーション化する手法」らしいのだが、

僕はこの点に関してはド素人なので、

詳しく知りたい方はウィキペディアなどを参照していただきたい。

 

物語は、不良高校生の研二が、自宅への帰り道の途中で出くわした、ちょっとした出来事をきっかけにベースを手に入れ、

友人の不良仲間である太田と朝倉にバンド活動を持ちかけるというもの。

 

3人はバンド活動はおろか、楽器の経験すらないのだが、

「細かい事はどうでもいいから思いついたらやっちまえ」的な初期衝動のみを頼りにバンドを結成し、

最終的に地元の町で開催されるロックフェスティバルに出演する事になる・・・

というのが物語の大筋の流れである。

 

さて感想だが、個人的にちょっとこの映画は・・・

僕が何となく思い描いていた「こういうものを見てみたい」という、希望や期待と大きく違っていて、

それが結果的に「いい意味で予想を裏切られたな。こういうのもありか」と思えるものなら良かったのだが、

やっぱりそういうものでなくて残念、と思った作品である。

 

独特の絵のタッチと「間」を持っていて、

一言で言えば「シュール」な笑いが散りばめられていると言えるこの作品。

 

楽器の演奏シーン以外はあまりBGMらしいものはなく、全編を通して静かに淡々と物語が進行していく。

 

この作品全体を覆う雰囲気に関しては、僕としては嫌いなテイストではないし、

「クスッ」としたり「ニヤリ」としてしまう、

いわゆる「小笑い」が、けっこう心地よかったりする。

 

ただ、やはり最後まで「これはちょっと・・・」と思ったのはバンドの演奏だった。

 

個人的にかなり物足りないし、身も蓋もない言い方をさせてもらうと、つまらない。

 

人生で初めてエレキギターエレキベースなどの、アンプを通して音を増幅させるタイプの楽器を持って鳴らした時の、得も言えない感動、

あるいは仲間と楽器を持ち寄って「初めて音を合わせた」時の感動の表現は、

最初の研二宅での練習シーンで、非常に淡々とした感じであるにも関わらず、伝わってくるものがあったのだが、

 

その後のバンドサウンドには何の進化もなく(と言い切ってしまうと、これはこれで語弊があるのだが)、

ベースとドラムは練習してるわりには、

「ドンッドンッドンッドンッドンッドンッ」という一定のリズムをただただ繰り返すだけ。

 

にも関わらず、そんな単調な音に、研二達のまわりの人間も好感触を抱いていくというのは、

一応楽器(エレキギター)をたしなんでいる僕としては全く理解することができなかった。

 

自分達だけは「カッコいい」と思っているバンドの音を、誰かに「それじゃつまらない」と指摘されて、

「じゃあどうすりゃいいんだよ?」と切磋琢磨、試行錯誤して、

「楽器の弾き方もわからなかった不良たちが『バンド』になっていく」物語かな?

と内心期待していたのだが、そういったものではなかった(もちろん僕の期待通りの話であったとしても、それを僕が「面白く思う」という保証はどこにもない)。

 

研二たちの女友達、亜矢が彼らの音を聴いて「ふーん、イケてるじゃん」というようなセリフを言うのはまだ良いとしても、

かなりギターの上手い森田という音楽一筋の真面目な生徒までが、

研二のバンドのサウンドに衝撃と感動を受けてしまい絶賛するというのは、

僕にとっては全くもって違和感しかなかった。

 

この森田が絶賛する場面は、もしかすると

「(森田くんは)気を遣いつつ、ダメなところを指摘するかと思ったら、絶賛するんかい!」という、

ツッコミを伴う笑いが生まれるのを意図していたのかもしれない(←僕の勝手な憶測)。

しかし、僕はただただ、

「いや、それに感動はしないんじゃない?」と思い、まずこのあたりで少し興醒めしてしまった。

 

「森田が感動してしまう」という部分もこの作品が持つ「シュール」の一部、

または「ロックの原点的衝動というものを、絶賛する森田の存在を通じて伝えたかった」という意図が制作者にあるのなら、

それはもう制作者の意思であるので、

僕はもう口を挟まない。

 

しかし、それは「最初、未熟だったものが時を経て成長していく」という過程に大いなる意義と感動を見出す僕の人生観には全く相容れないので、

この作品は結果的に僕の持つ信念、嗜好と合わなかった。

 

最後のフェスティバルでの演奏も

「思ってもみなかった楽器の登場に加え、

衝動と感情の赴くままの演奏が人の心を打つ」

という瞬間をアニメーションと絡めて表現しているのだが(この時の映像表現自体は、中々良いと思った)

これも残念ながら、僕の心には芯の芯までは響かず、

消化不良ともいえる思いを抱えたまま、映画は終了した。

 

僕自身、

器用な小手先のテクニックより情熱や気持ちが大事だという事は、楽器を演奏する人間としては重々肝に銘じているが、

やはりそれには「最低ライン」というものがあると思う。

 

僕はせめて

「お世辞にも上手いとは言えないけど、何かコイツらから感じるものがある」と思わせる演奏を聴きたかったのだが、

僕自身は「ダメだ、これは認められない」と思ってしまった。

 

しかし、この映画の世間的評価はけっこう高いようである。

 

映画関連サイトで高評価をしている人の意見を読んでいると、

確かにその各々のおっしゃっていることは理解できるのだが、

この映画で表現されている「音」と僕の感性は合わなかった。

 

短い上映時間(1時間10分ほど)も、物足りなさに拍車をかけていて、

もう少し長くてもいいから、バンドが「成長する物語」を見たかったな、と思っている。

 

ただ、どうだろう?

 

もしかして「音が鳴らない」紙の原作の方を先に読んでいたら、僕の評価は全く変わっていたかもしれない。

いや、映画のあとに読んでも「うん、こっちの方が良い」となっている可能性は高いかもしれない。

 

物語で表現される音は、全て僕の脳内で、自分のイメージする「最も心地よいもの」として補完されるだろうから。

 

そんな事を考えると、小説や漫画内で表現される音楽の映像化というのは、

やはりとんでもなくハードルが高いものなのかもしれない。

 

という事で、今回のこの「音楽」の評価は、

世間との高評価とは大きく乖離して、僕としては少し辛めの評価にならざるを得ない。

 

100点満点中、57点といったところか。

 

7年の歳月をかけ、独力でこのアニメーションを作り上げた監督には非常に申し訳ない気持ちであるが・・・。

 

独特のテイストを持ちすぎている作品なので、

万人受けはしないと思うし、好き嫌いがはっきり出るかもしれない。

 

ま、今回のレビューは「俺はこういうのを期待してたんだけど」という、僕の独りよがりな希望とそぐわなかっただけなので、

いつにも増して、他の人にとって参考にはなり得ないレビューかな?と思っている。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(極力ネタバレなし)「ラストナイト・イン・ソーホー」 最後の方まで飽きさせない力はあるが、最後に「いや、それは無理やで」と思った。

今日はTOHOシネマズなんばにて、

「ラストナイト・イン・ソーホー」を鑑賞。

 

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公開前は全く気に留めていなかった作品だが、

今日の時点でYahoo!映画レビュー平均4点越え、ということで興味をそそられ見に行った、という僕のいつものパターンである。

 

ファッションデザイナーを目指すイギリスの片田舎出身のエロイーズは、

ロンドンにある服飾専門学校の合格通知を受けて、一人都会へ引っ越す事になる。

 

自分の夢を叶えるため、最初こそ意気揚々としていたエロイーズだが、

都会の刺激的な環境や、学校の寮での人間関係に初めはうまく馴染めず、次第に悩むようになり、一人暮らしをする決意を固める。

 

そして訪ねた物件で大家に紹介された部屋は、60年代のイギリスの趣きを残す古びた一室であったが、

元々そういった時代の文化に強い憧れを抱いていたエロイーズは、すぐにその部屋を気に入り入居を決断した。

 

ようやく落ち着ける居場所を見出したかに見えたエロイーズだが、眠りに就くたびに、夢の中に60年代のロンドンの風景が現れ、

さらにその夢の中に登場する「サンディ」という歌手を目指す女性の存在と自分の姿が、

夢の中だけに限らず、現実世界においてもシンクロしていくような奇妙な体験を繰り返すようになるのであった・・・

 

というあらすじであるが、

ジャンル的には「サイコサスペンス・スリラー」と言えるような範疇に入ると思う。

 

見ていてドキッとする場面はあれど、全編通じてそんなに怖くはない。

 

血が飛び出すシーンもあるが、これも自分的には怖くないし、別にグロいというものでもない。

 

とにかく見ていくうちに興味を抱くのは

「さあ、この話、最終的にどう落とすよ」というオチである。

 

結局このオチは、僕としては全然驚くものではなかった。

「まあ、やっぱりそのあたりだったか」という感じである。

(正直、あのオチは自分はちょっと強引だと思うのだが。さすがに警察も大体、目星つけるやろ。)

 

という事は、これは自分としては、やはり高得点には繋がらない。

 

そして、エンドロール前の最後のシーンが、本当に自分としては納得がいかない。

 

これは記事のタイトルに「ネタバレなし」と書いてしまった以上書けないのだが「いやいや、無理でしょ」と。

 

「ジョカスタにあれだけの事やっといて、そんな催しに参加させるとか・・・」(あ、ちょっと言っちゃった。まあこれくらいならいいか)

 

この一文を見ただけでは、映画未見の人は何のことかわからないだろうが、

「ジョカスタ」とは、エロイーズがロンドンにやってきて学校の寮に入った時に、エロイーズのルームメイトになった、ちょっとエロイーズに意地悪な、イケイケな性格の女の子の名前である。

 

要するに、劇中、トラブルに見舞われたエロイーズは錯乱状態になって、ジョカスタにある事をしてしまうのだが、

最終的には「(ジョカスタに対しての)そんなやらかし、大したことない」と言わんばかりに、

僕が指摘したエンドロール前のシーンが展開されるので、

「いや、普通に考えたら大問題やで。退学レベルやで」と思ったので、僕は最後の最後で一気にシラけてしまったのである。

 

それに加えて、冷静に考えたら、

「で、結局この映画は何を描きたかってん?」という気にもなったし、

見終わって「いやあ、なかなか良かったよ」という気持ちに全くさせてくれなかった。

 

オチに関しては、しょうもなくはないが、

いい意味で裏切られて「なるほどね〜」と唸るわけでもないし、

全編通じてめちゃくちゃハラハラドキドキするわけでもないし、

「一応最後までそれなりに見れるけども」というレベルかな、と。

 

まわりの評価がけっこう高いので、それに釣られて自分も体験してみたが、

正直な感想として「別に悪くないけども」というこの感覚は、

「神座(かむくら)」のラーメンを初めて食べた時の感覚に似ている(かむくらの社長さん、従業員の方々、ファンの皆さん、ごめんなさい。先に謝っておきます)。

 

今から20何年も前、

まわりの知人たちの多くが、ラーメンの話題になると「かむくら美味いよな」と言っていて、ちょっとした「かむくらブーム」になっていたので、気になって僕も食べてみたら、

「まあ美味しいっちゃあ美味しいけど、そんなに絶賛するほどか?」と思ったことがあるのだが(もう一度ごめんなさい)、

この映画を見終わった時も、あの感覚に似ていると思った。

 

「5段階評価で、平均で4点越えもするか?これ」という感じ。

 

僕の意見は「細かすぎる」かもしれないけれど、

(僕はおそらく「非常に繊細で神経質な一面を持つ」HSP度が人より高いのだろう。いわゆる「繊細さん」というやつである)

「ジョカスタに対してあんな事をやっておいて、最後にそれができるとは到底思えない」という僕の意見は変わらない。

 

あれは退学、停学ものです。

 

気になる人は映画を見てみてください。

 

という事で、

今回のこの映画に対する僕の評価は、100点満点で59点。

 

ちなみに、これはあくまで僕の好みで、

本編のストーリーに対する評価と関係ないが、主人公エロイーズが途中からめちゃくちゃかわいくなる(元がすでにかわいいが)。

 

夢に登場するサンディに感化されたエロイーズは、途中からイメチェンして金髪になるのだが、これがものすごく似合っていてかわいいのである。

 

さらに終盤において、ハロウィンパーティーで顔にペイントを施しているのだが、

このメイクした顔もかわいいし、メイクが取れて目のまわりにクマができたようになっている顔もかわいいと思った。

 

 

でも、下のこの画像(↓)を見た人は「どこがかわいいねん!」と言うに違いないと思う(笑)。

 

一応弁明させてもらうと、これは恐れおののいている場面だから仕方ない。

是非、映画の他のシーンも見てほしい。

エロイーズ、かわいいので。

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まあ名前からすると「かわいい」というより、

エロそうな気がするけどね(←バカの発想です。無視してください)。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

そしてあらためまして、神座(かむくら)の関係者の皆様、失礼な発言があったと思いますがご容赦ください。

基本的に「美味しい」と思っていますし、また今度食べに行きます。

これがもうすぐ45になる中年男の年賀状である。我ながらカワイイと思う(笑)。

 

親戚の方から年賀状が届いてた。

 

自分はもう久しく紙の年賀状を書いておらず、最近は、新年の挨拶も兼ねてお礼の電話をしていたのだが、

今年はなぜか、久しぶりに手書きの年賀状をお返ししようかという気分になったので、

イラスト入りの年賀状を書いてみた。

 

「もう紙の年賀状は出さない事にしよう」と思っていた自分が、

なぜ自分でイラストを描いたかというと、

先ほどセブンイレブンに年賀状を1枚買いに行ったところ、絵柄なしの無地の年賀状しか在庫がなかったので、

「これはイラストを描くしかない」と思ったわけである。

 

中学生か高校生の時、以来である。

絵を描くのは本当に十数年ぶりなので、大丈夫かな?うまく描けるかな?と思ったが、

気がついたらハガキに下書きなしで描き始めていた(別紙にイメージ図は一度描いてみた)

子供の頃、ノートに絵を描きまくっていた頃があって、

友達に「あれ描いて」「これ描いて」とよく頼まれたものだが、

その頃のように、下書きなしで、いきなりボールペンや極細マジックで描き始めていた思い切りの良さと経験が、ここで役に立っている。

 

完成したものを見ると、まさに小学生から中学生の頃にかけて、毎年せっせと書いていた時の雰囲気そのまんまの年賀状に仕上がった。

 

あの頃から画力は向上していないが、

今月45歳になる男の年賀状としては、中々にカワイイじゃないか(笑)。

 

親戚の方が喜んでくれれば幸いである。

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(極力ネタバレなし)「キングスマン ファースト・エージェント」 優等生エンターテイメント映画だと思う。それ故に「模範解答以上の面白さ」は感じなかった。

元日はTOHOシネマズなんばにて、

キングスマン ファーストエージェント」を鑑賞。

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キングスマン」シリーズ3作目の今作は、

スパイ組織キングスマンの発祥の物語なのだが、

僕自身はこれまでのキングスマン2作品を見ておらず、

この「ファースト・エージェント」が、キングスマンシリーズ初体験である。

 

オーストリア=ハンガリー帝国のフェルディナント大公の暗殺が第一次世界大戦の発端となる事は、僕も学校で習ったので多少は知っていたが、

この作品では、その暗殺の実行犯プリンツィプを操る「羊飼い」と呼ばれる謎の男が登場する。

 

この「羊飼い」については、もちろん学校で習った事はない。

これは映画上の架空の設定だろう。

 

羊飼いに従うのは、怪僧ラスプーチン

女スパイであるマタ・ハリロシア革命を主導したレーニンなど、多くの人が一度は名前を聞いた事はあるかもしれない人物たちだ。

 

世界大戦を止めるべく、ひいては羊飼いの陰謀を止めるべく、

由緒ある英国貴族としての表の顔を持つオーランド・オックスフォード公は、

息子のコンラッド、執事のポリー、ショーラと共に、「国家に属さないスパイ組織」として諜報活動に乗り出す・・・というのが物語の大筋。

 

今回は先に点数を出します。

 

僕の評価は100点満点中で、70点。

 

記事のタイトルにもあるように、

娯楽作品としてはかなり「優等生な」作品だと思うのだが、

それ故にか、何かこう「突き抜けたもの」を感じなかった、というのが正直なところ。

 

この作品には3パートの大きな流れがある。

 

怪憎ラスプーチンとの対決までの前半、

オックスフォードの息子コンラッドが志願して戦地に赴く中盤、

羊飼いの本拠地に乗り込み、最後の決着を着けにいく後半、

とそれぞれに見せ所はあるのだが、

僕の感想としては、ラスプーチンパートを終えた後、中だるみを感じだした。

 

中盤の戦場パートは、その中だるみを解消する役割を担っているはずなのだが、

どうも僕には、この戦場パートが映画の中で「浮いている」ように感じて仕方がなかった。

 

この戦場パートは、

ともすれば一本の戦争映画の独立したワンシーンとして抜き取られてもいいくらいの、

一定以上のシリアスさと緊迫感を持っていると思えるのだが、

それ故に、先ほどまで展開されていたラスプーチンパートとのギャップ、高低差に少し僕の気持ちがついていかなかった。

 

ラスプーチンパートに話を戻すが、

そもそも「ラスプーチン」という、人間を超越したような存在そのものに、ある種のファンタジーとも言える要素があって、

そのような存在とキングスマン達の対決シーンは、まさにそのファンタジーを体現したものであり、

このシーンは、アクションと音楽(チャイコフスキーの「くるみ割り人形」だったと思う。間違ってたらごめんなさい)

との絶妙なハーモニーで観客を存分に楽しませてくれる秀逸なエンターテイメントチャプターだったと思う。

 

実際に最後まで見終わった後で「一番印象的だったシーンは?」と問われたら、

僕はラスプーチンとの対決場面と答えるだろう。

 

そんなエンタメ、ファンタジー要素が色濃い前半のクライマックスの後、

あのシリアスかつ、中々に迫真の戦争シーンを見せられるのは、

一回の食事に例えると、カレーライスを食べた後に、さほど間をおかずして豚骨ラーメンが目の前に出されたような感覚、と言えるかもしれない。

 

メインと言える料理の後に、またメイン格の料理が出る重さ。

 

「いやー、カレーの後に豚骨はキツいっす」と僕はなってしまった(・・・ん〜、こんな事感じたの僕だけかな?)。

 

この作品におけるカレーも豚骨ラーメンも、どっちもある程度以上の美味しさなのだが、そのジャンル違いでの連続は・・・僕には濃すぎる。

 

ただ、戦場パートの結末は「えっ!?」というもので、個人的にはかなりのショックを受けた。

 

これは核心に迫るネタバレになるので、詳細は書けないが、あのシーンでちょっと僕の目が覚めたというか(眠かった、という意味ではない)。

 

そして終盤の羊飼いのアジトに乗り込むパートは、

これがまあ、かなり「主人公、ピンチに陥りますが、そこはやっぱり死にまへんねん」的な都合のいい展開なのだが、

このあたりが最終盛り上げパートという事もあって、映画の中で一番スリリングな部分ではあると思う。

 

一応、最後に羊飼いについて「タネ明かし」があるのだが(これももちろん書けない)、

正直、僕はそれを見せられても

「あ・・・ああ、そうやったん・・・」という感じで、

この点に関しては特段驚きはなかった。

 

それよりもむしろ

「いや、だとしたら忙しすぎるやろ。どうやって時間を捻出するねん?」と、思わずツッコんでしまったのだが。

 

このラストと、先ほど述べた戦場パートの結末が気になる人は是非、その目で確かめていただけたらと思う。

 

という事で、2022年の一発目の映画レビューは「キングスマン ファースト・エージェント」でした。

 

ちなみに本編が終わってエンドロール後も

「仕掛け」があるのでお見逃しなく。

 

ちょっと時間ができたら、前の2作も見てみようかな?

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

今年もシンゴさん日記をよろしくお願いします。

2022年(以降)の誓い。

 

明けましておめでとうございます。

 

2022年(に限らず、それ以降も)に心がけること。


「謙虚であること」

 

「素直であること」

 

「感謝し続けること」


そして「僕の事を誤解している人たちを決して恨まないこと」

 

僕は誤解されたまま幸せになれるし、
僕を誤解している人に対しては、誤解したまま幸せになる事を祈っています。

 

これを読んだ知人から「何を誤解されているの?」と問われても、決して中身は明かさず生きていきたい。

 

なぜなら、僕から話を打ち明けられた人は、

「それって可哀想」と僕の肩を持つ可能性が高く、そうなると誤解している人を悪者に思う可能性があり、

それが更なる誤解と諍いを生む源泉になるだろうから。

 

すべては自分のいたらなさ。

 

僕は素直さと、何に対しても感謝する事に関してはけっこうできているような気がするのだが

・・・・って、

ほら、この時点でもう「謙虚」さを欠いている(苦笑)。

 

まだまだですね。