シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「レイジング・ファイア」 ちょっと期待しすぎて肩透かしを食らった。

今日はTOHOシネマズなんばにて、

「レイジング・ファイア」を鑑賞。

 

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見る前から、

Yahoo!映画のレビューで平均4点以上、

中国で4週連続No.1ヒット、という文言にもつられてけっこう期待していたのだが、

実際見てみたらちょっと肩透かしを食らったかな?という感じ。

 

ストーリーを一言で言うと、

正義感の塊のような刑事と、

闇落ちして犯罪側の人間になってしまった元刑事の因縁の対決。

 

基本的にはそれ以上でも、それ以下でもない。

 

かつて警察内で先輩後輩の関係であった二人が、どのようにして対決に至るかという経緯については、しっかりとした筋書きがあるのだが、

どうも個人的には、そのストーリーを見せられても「心を揺さぶられる」というレベルには至らなかった。

 

主演のドニー・イェンニコラス・ツェーの、

肉体を駆使したアクションは、確かに評判通りの「凄い」と言えるものではあると思うのだが、これも芯まで僕の心に響いてこない。

 

これはなぜだろう?と自問自答しながら鑑賞していたのだが、

まず思ったのは全編を通してBGMがうるさいこと。

ちょっとBGMで過剰に盛り上げようとしすぎだと思った。

それが僕には、観客の興奮を「狙って上げにきている」ようなあざとさを感じてちょっと嫌だった。

 

そして僕的に致命的だったのが、

主演のドニー・イェンのメイクが厚塗りすぎた。

僕は素人なので、詳しくわからないが「ドーラン」って言うのかな?

役者さんは、基本的に撮影の際にはある程度化粧して臨むと思うのだが、

そのメイクがもう「うわー、めっちゃメイクバッチリやなあ」とわかるくらい、バッチリだったのである。

 

冒頭の朝起きるシーンからすでに。

 

寝起きでメイク顔は・・・いかんでしょ。

 

これがとにかく、僕としては映画を見ている間、ずっと引っかかってしまって、

芯から物語に入り込めず、

物語を見るというより、

「撮影されたものを見ている」感覚に陥ってしまったのだ(このニュアンス、わかります?)

 

こんな事を気にしながらこの映画を見ていたのは、僕だけかもしれないが・・・。

 

あとは・・・ちょっと年齢的なものもあるかもしれないが、僕自身が格闘アクションに飽きてきているというのも、この映画を心底楽しめなかった要因だと思う。

 

やっていることは確かに恐ろしくハイレベルだと思う。

 

けど僕は「ジャッキー・チェン全盛期の頃から、こういうの、もうだいぶ見てきたしなあ。なんならジャッキーの方が凄かったと思うんだよなあ」

という気持ちになってしまった。

 

このようなひねくれた見方になってしまうのは、僕のようにある程度年を重ねた人間ならではの、ある種の悲しさなのだが・・・。

 

今は肉体を駆使したスタントも、演者を怪我させないように最大限に安全面は配慮されているんだろう、

と予想しながら見てしまうし(それでも現場でヒヤリとする場面は今も絶えないとは思うが)、

見ているこっちも、

(個人差はあるが)そのような現場の裏側を、色んな映画のメイキングを見たりして、脳裏に刻まれてしまっていたりするから、

なんだかもう興奮しきれないのだ。

少なくとも僕は。

(メイキングを見るのはけっこう楽しいが、あまり裏側を知りすぎるのも善し悪しがある、と個人的には思う)

 

というわけで、今日のレビューは、

完全に今の僕の嗜好のバイアス、

あるいは経験によって生じたバイアスがかかっているので、

あまり他の人にとって参考にはならないと思う。

 

「最近、映画鑑賞にハマった」という中学生とか高校生のような若い人がこの映画を見たら、僕の評価とは全然違うかもしれない。

 

ただ、「レイジング・ファイア、おもしれー!」となった子たちに、僕は言いたくなるだろう。

 

「ワイヤーもCGもなかった頃の、昔のジャッキー・チェンの作品(アクション)を見てみ」と。

 

・・・なんて言っておきながら、最近の僕は、

マーベル作品に代表されるような、ド派手にCGを駆使した・・・

もっと言うとCGを駆使したからこそ実現する凝ったアクション、映像表現の方が、

自分としては感動するようになってきてしまっていたりするのだが。

 

今回の点数は、

100点満点中、68点。

 

しっかりしたハイレベルの作品だとは思うが、ちょっとBGM的なところで色々クドいのと、

あとは、なにかと「カッコよくしすぎ(特に悪役)」かなあ、と。

なんか鼻につくというかね。

 

あとは、ドニー・イェン、メイクしすぎ注意(笑)。

 

全然関係ないが、女の子とデートするのに待ち合わせ場所で会った時、

凄い気合入れて普段より厚めの化粧バッチリで登場した日には、こっちとしては、

「うわー、もっとナチュラルで、いつもの感じで来てくれたら良かったのに〜・・・。まあけど、今日は気合入ってるんやなあ」と、

その労をねぎらいながらも、

「顔面のよそ行き具合」に内心ちょっと引いている時があるので、

女性の方にはアドバイスしておきたい。

 

あんまり気合入れてお化粧したら、意外と逆効果かもしれんよ、と。

 

・・・まあ10年以上、女性とデートしてない男が言うのもアレなのだが。

 

まあ、今日はいつにも増して僕の独断と偏見が出たと思うので、

この映画に感動された方の中には、このレビューを見ると少しムスッとされる方がいるかもしれない。

 

そこは、ごめんなさいという感じです。

ここばっかりは自分にウソつけないので、

「コイツ(僕のこと)、何もわかってないわ!」と思われたなら、甘んじてそのお怒りを受け止める所存でございます。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ここ最近、シンクロニシティがエグい。

まあ今日の記事も、

読者にとったら「どうでもええわ」という内容なのだが、

最近「何、このタイミング?」というシンクロ現象が、

僕の生活の中で立て続けに起こっているので、報告がてら自分に起こった事の記録として書き綴ろうと思う。

 

最近起こった「何、このタイミング?」の1個目は、

12月12日の記事で吹奏楽のコンサートに行った話を書いたのだが(リンク先↓)、

https://shingosan.hateblo.jp/entry/2021/12/12/233215

 

そのコンサートの最中に、

「そういえば、Sさんって楽団の活動やってるのかな・・・?

(目の前の演奏を聴いていると)また久しぶりに、Sさんの演奏、聴きたくなってきたな・・・」との思いが、ふと頭に浮かんだ。

 

Sさんとは、僕が前に働いていた職場の仲間で、会社に勤めながら吹奏楽団に所属し、長年音楽活動をされている方である。

 

僕が前の職場を辞めてから、今まで2年半の間、全くお会いしていなかったのだが、

何とそのコンサートの翌々日に、とある駅のホームでSさんの後ろ姿らしきものを見かけたのである。

 

「今まで全然見かけなかったのに、このタイミングか!」と思って、

確認のため「あの時間に、○○な服着て駅のホーム歩いてた?」と、

彼女に2年半ぶりにメールしてみたら、

「それ、私で間違いないです笑」と返ってきた。

 

これが、まず1個目。

 

次、2個目と3個目は同じ日で、先週の金曜日のこと。

 

自分でもなぜそのフレーズが頭に思い浮かんだのか、意味がわからないのだが、

朝起きてすぐ「東京ホテイソン」というフレーズが頭に思い浮かんだ。

 

東京ホテイソン」とは、去年のMー1グランプリの決勝にも進出したお笑いコンビである。

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僕は特段、彼らのファンというわけではないし(失礼)、名前はMー1で初めて知ったくらいの知識なので、

なぜ彼らのコンビ名「東京ホテイソン」というフレーズが、

朝イチで僕の頭に飛び込んできたのかが全く謎であった。

 

「なんで俺、『東京ホテイソン』って思ったんやろ?」と疑問に思いつつも、

その後は朝ご飯を食べて、いつも通り仕事に出かけた。

 

で、ここでいったん「東京ホテイソン」の事は置いといて、

その日の昼間、僕が働いているお店に、ある常連のお客さんがやってきた。

 

その常連さんは60代中盤くらいの痩せ型の男性で、頭は綺麗に剃り上げたスキンヘッドなのだが、

僕はその常連さんの風貌を見るたびに、

「そういえばこの人、誰かに似ているなあ」と前々から思っていた。

そして、その日初めて

「あ、黄金バットや。この人、黄金バットに似てる」と思ったのである。

 

黄金バット」とは、昭和の初期の紙芝居から発祥したヒーローである。

漫画化、アニメ化もされている。

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というわけで、

「今日も黄金バットさん、元気そうだな」なんて思っていたところに、

別の男性のお客さんがやってきて、コートの試着を始めたのである。

 

そのコートは、少し攻めたデザインの黒いコートだったのだが、

お客さんはそれを着るなり、

「これ、なんか黄金バットのマントみたいやな!」と、鏡に写った自分の姿を見て、笑いながら言い放ったのである。

 

試着を手伝っていたスタッフは、

黄金バット!また例えが懐かしいですねえ!ウケる!(笑)」なんて言って、お客さんと共に笑っていたのだが、

近くにいた僕は、このシンクロにただただ驚いた。

 

「たった今、

俺が常連さんの事を『黄金バットに似てるな』と思った数分後に別のお客さんが来て、

コートを羽織って『これ、黄金バットみたいやな!』って・・・。こんなタイミングある?」と。

 

これが2個目。

 

3個目は、その日の帰宅後、

晩ご飯を食べ終え、お風呂に入ったあと、おやつをつまみながらテレビでも見ようかと、

録画してあった「水曜日のダウンタウンSP」を見始めたのである。

 

そこで最初に出た説が、

「どこにもカメラが見当たらない狂気のロケでもゲストに指摘されずに進めること可能説」という説だったのだが、

 

そこに出てきた最初のゲストが、

先ほどいったん置いておいた「東京ホテイソン」だったのである。

 

これには本当にびっくりした。

 

朝起きた時、夢に出てきたわけでもなく、

何の前触れもなく頭に突然浮かんできた「東京ホテイソン」のフレーズが、その日のうちに出てきたのである。

 

テレビ内蔵のハードディスクには、この番組以外にも沢山の番組が録画されていて、

この「水曜日のダウンタウン」ではない、別の番組を見る可能性も大いにあったのに、

たまたま選んだ「水曜日のダウンタウン」に出てきたのが、

僕の知る限り、そんなにこの番組の常連というわけでもない「東京ホテイソン」。

 

先ほど、数時間前に起こった黄金バットの件もあって「今日、奇跡やな、これ」と、

この日は家で一人、興奮していた。

 

4個目は今日(28日)。

 

昼間、働いているお店に、

お父さん、お母さん、小学校低学年くらいの男の子、3歳か4歳くらいの女の子の家族がやってきていたのであるが、

 

仕事を終えて帰宅途中、

自宅近くのスーパーに寄ると、お父さん以外の、さっきの親子3人がスーパーにいた(笑)。

 

いや、その日のうちに、もう一回地元で遭遇かよ(笑)。

 

・・・とまあ、頻発しまくるシンクロニシティである。

 

こういうのって、「これの意味とは?」とか考える前に、自分としては単純に「おもしろい」ので、今後もどんどん起こってほしい。

 

それにしても、最近のシンクロの発生度合いには本当に驚いている。

 

という事で、今日も皆さんにとっては全く役に立たない話でしたが(笑)、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

人生における短い呟き、その7

実力や十分な経験が伴っていないのに、

たまたま成功してしまうことは、

後に大きな苦しみとなって自分に返ってくる可能性が極めて高い。

 

努力し続けているけどうまくいかない、

良かれと思ってやった事が自分の理想通りにいかない状態は苦しいが、

うまくいかなかった事は全て「データ」となる。

 

失敗を積み重ねるということは、

即ち「データ」を取る、ということである。

 

「大器晩成」という言葉は「データが豊富にある」と言い換える事もできる。

 

今、何か目指している事がある人、

決して諦めず、腐らずに頑張ってください。

 

ちなみに、失敗しても、それを他人のせいにしているうちは何のデータも蓄積されないので、悪しからず。

「探偵!ナイトスクープ 」に依頼を出してみた。

12月16日の記事「僕の人生における思い出の曲」で「忍者ハットリくん」のOP曲を取り上げたが(リンク先↓)

https://shingosan.hateblo.jp/entry/2021/12/16/000438

 

やはり、あの記事で書いている「にせハットリくん」を久しぶりに聴きたくなったので、

朝日放送探偵!ナイトスクープ 」に以下の文で依頼を出してみた。

 

 

『毎週楽しんで見ております。

今回の依頼なのですが、私が小学生の時に好んで見ていたアニメ「忍者ハットリくん」の主題歌についてです。

小学生の頃、私はこのハットリくんの主題歌が大のお気に入りで、学校の帰り道などでよく口ずさんでいたのですが、
ある日、母親に、この主題歌が収録されたカセットテープを地元のスーパーで買ってもらったのです。

「これで家で好きなだけハットリくんの歌が聴ける!」と大喜びの私でしたが、
いざラジカセにテープを入れて再生してみると、テレビで聴いている時の歌と、買ってもらったテープの歌を歌っている人の声が違うのです。

しかもあろう事に、スーパーで買ってもらったテープのハットリくんの歌は
テレビとは違うアレンジが施されており、
歌の最後に出てくる歌詞「忍者でござる」の音程がオリジナルとは程遠い、尻上がりな音程で歌われているのです。

「歌っている人が違うし、歌の終わりの音程が変」という事で、当時の僕は大いに落胆しました。

その後、そのカセットテープは紛失してしまったのですが、
いまだにたまに忍者ハットリくんの歌が頭の中に流れると、あの最後のやたらと音程が上がる「忍者でござる」の違和感のあるアレンジで再生されるのです。

久しぶりに、あの独特の音程のバージョンのハットリくんをこの耳で聴いてみたいのですが、先ほども述べたようにテープがありません。

それと「何故、あの部分だけ音程を大幅に変えているのか?」という事が気になって仕方がないです。

どうか探偵さんのお力で、あの音源を探し出し、何故アレンジが違うのか?という事も含めてお調べしていただきませんでしょうか?』

 

といった感じ。

 

・・・まあ正直、地味な内容だし、ナイトスクープにはかなりの数の応募が来ているので、採用されるとは思っていないが、

万が一、採用されて、そのことをSNSで公表してもいいようなら、また当ブログで報告しようかなと思う。

ここ数日間、YouTubeでテンダラーの漫才をずっと見ているが、これ日本一面白くないか?

最近、ちょっとメンタルが病み傾向だったのだが、

(と言っても、まわりの人が見たら、どう見ても元気で充実してそうな風にしか見えないと思うが)

 

Mー1グランプリで錦鯉の優勝を目の当たりにしてから、

だんだん元気を取り戻してきた。

 

「ああ、やっぱりこういう時(病んでる時)は、自分にとってはお笑いだな。」と思って、

昔から好きな漫才師であるテンダラーのネタを、

ここ数日間、仕事が終わって家に帰った後、久しぶりにひたすら見ていたのだが、

この2人の漫才はやっぱり面白いと思った。

 

結成27年半という事で、

もう完全にベテランの域に入っているが、

テンポ、動き、ボケとツッコミ両方の切れ味、掛け合いのリズム・・・

総合的に見て、今時の若手と比べても、負けていないどころか、

「いやこれ、日本で最強の漫才師じゃねえか?」と思ってしまった。

 

まあ、笑いは人それぞれ好みがあるので、

「そうじゃない!1番面白いのは○○だ!」という意見があったら、その人にとってはそれが正解なので、それはそれとして尊重するが、

テンダラーを「最強」と言ったのは、「順位的に1番」というのとはちょっとニュアンスが違います。最大級のリスペクトを表す言葉としての「最強」です)

 

控えめに言っても、

テンダラーは「最高クラスの中の一つ」であるのは間違いないと思う。

 

もしMー1グランプリが、出場資格である結成15年以内の縛りをなくしたら、

テンダラーは、余裕で最終決戦のファイナリスト3組に残れるんじゃないか?と思ってしまったりもする。

 

お二人は2001年、2002年、2003年、2004年のMー1グランプリにて、いずれの大会でも準決勝まで進出した実績がある。

 

Mー1に出場した時のネタを僕は見ていないので、

その当時はまだまだ漫才が荒く実力不足だったのか、

大舞台でいまいち調子が出なかったのか、

審査員にハマらなかったのか、

はたまた審査員の見る目がなかったのか、

それは僕にはわからないが、

とにかくテンダラーは、昔から個人的にめちゃくちゃ面白いと思う。

 

大声を出したり、奇天烈な動きで暴れたりするんじゃなくて(それが悪いというわけではない)、

「うん、そうそう、これを『漫才』と言うんだよな」と、

「漫才を見にきた人間」を納得させてくれる漫才を見せてくれるテンダラー

 

数年前に、なんばグランド花月で初めてお二人の生の漫才を見たが、その面白さに爆笑し、そして感動した。

 

YouTubeで見ているうちに、また劇場で見たくなってきた。

 

グランド花月には電車で30分で行けるし、

来年、久しぶりに劇場に見に行ってみようかな。

 

人生における短い呟き、その6

「なんでみんな、言うことを聞いてくれないのだろう?」

と悩んだ時、

まず考えなければいけないのは、

「もしかして自分(自分のやり方)に原因があるんじゃないか?」

と考えてみよう。

 

その「もしかして」は、割と高い確率で当たってたりする。

40代半ばでこんな事を思うのは少し早いかもしれないが・・・

この年になると、

何年も会ってない人とかに対して、

「元気にしてるかな?」というより、

「生きてるよな?まさか死んでないよな?」という事を、ふと思うようになってきたりした。

 

まあ、そういう事を思うには、まだちょっと早いのかな?

という気もするけど。

 

でも、「僕が知らない間に亡くなってた」

という知人が、実際に何人か出てきてるからなあ。

 

これからの人生、そんな話は増える一方だと思う。

寂しい話だけど。

 

ちなみに、このブログが1年くらい更新されなかったら、僕は死んだと思ってくれていいです。

 

一応、ブログって「運営者が生きてる証明」になるんよね。