「正欲」を鑑賞。
およそ世間一般の大多数の人間が持ち合わせない、
殆どの他者には理解できないであろう「性癖」を持ってしまった人々の生きづらさ、息苦しさを描いた作品である。
昨今は、世界的にLGBTQの人々に対する理解なども深まってきており、
人種問題を始めとして、あらゆる社会活動における多様性の尊重が声高に叫ばれているが、
それらの啓蒙に伴う良し悪しの側面はひとまず置いておくとして、
当事者の人々にとって、この世界は、
実はまだまだ悩みから解放されたと言える状況とは大きく乖離している、と言ってもいいだろう。
一昔前までは、人はある程度の年齢になったら結婚するのが「世間の常識」だったのだろうが、
今の時代、「あなたはなぜ結婚しないの?」と聞こうものなら、
失礼どころか、言い様によってはハラスメントとして断罪されるのである。
「普通」、「常識」、「人並み」という、
「多数派で形成された共通認識」は、
社会の安定装置である一方、
一旦そこから外れた者たちを冷酷なまでに疎外し、時に排除する方向で作動する、
ある種の暴力装置にもなり得る、と僕は考える。
この安定と、それが煮詰まった時に引き起こされる暴力的揺らぎの繰り返しによって、
世の中の普通や常識は、常に変化していくのだ。
普通とは何か?
常識とは何か?
この映画は、
今後の未来においても永続的に議論されるであろう、そのような哲学的命題を、
特殊性癖を持った人々と、いわゆる多数派の人々の対比によって、鑑賞者に問いかける一本である。
作品内で、稲垣吾郎演じる警察の取調官が、「常識の権化」のように描かれるのだが、
「自分は常識に則って真っ当に生きている」と、己の正当性に揺るぎない無意識的確信を抱いている人間でさえ、
いや、そのような確信を抱いているからこそ、
新垣結衣、磯村勇斗を始めとした少数派の人間とはまた違った困難に直面する。
少数派の苦しみだけが描かれるのではなく、
この多数派ならではの「常識的な生き方や安定を追求した先にあった落とし穴」についても、
わかりやすい形で対比的に描いているところが、
この作品のある種の面白味であると言える。
ストーリーのテンポ感は、はっきり言って軽快さを感じないし、
ラストのオチについても、
「自分も少数派である」と自認している僕の個人的な観点からは、
ある種の忸怩たる感情を抱かせるものがあり、
恐らく多くの鑑賞者に爽快感めいたものをもたらす事はないだろう。
基本的に優れた作品であると思うが、
登場人物の名前を、章立てのようにピックアップしてストーリーを進めたのは、
無意味とまでは言わないが、特に効果的な演出とは思えない。
後は、ところどころ、セリフがポエミーかつ小説的で、鼻につくというか、
「そんな会話、こんなタイミングでせえへんやろ」と興ざめした部分もあったし、
物語中盤における、新垣結衣演じる独身女性の起こした突発的行動と、
その行動をされた側の、拍子抜けするような話の収め方に、強烈な違和感を感じたところもあって、
マイナス部分も多々ある。
100点満点で、79点と言ったところか。
もう一度言うが、ラストは・・・、
やっぱり「可哀そう」と思ってしまったのだが、一方で、「作品としての面白さ」を追求した結果を鑑みると、あれはあれで正解なのかな?とも思う。
まあ見終わって数日経っても、あのオチを思い出すと、まだちょっと複雑な気持ちである。
「人生って、運だな」と思った一本でもある。