シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

もうM−1グランプリは、「敗者復活」を無くした方がいいのでは?

昨日のM−1グランプリ2023については、
敗者復活戦の冒頭から視聴していたのだが、
そこでふと思ったのが、
「敗者復活という図式、もはや要る?」という事。


今年から敗者復活戦の審査方法と規模が大きく変わり、
一般観覧者の投票に加えて、芸人審査員の投票も取り入れられる事となった。


数年前から敗者復活戦の模様はテレビ放送されているが、
今年から会場は、今までの寒空の下ではなく(そもそも、なぜ今まで「冬の屋外」という、笑いに取って一番不利な状況で行っていたのかがわからない)、
屋内で約1600人という観客を迎えての、
下手をすればある意味、
勝戦を凌ぐ規模の「一大お笑いイベント」である。


この場において、例年のごとく、
勝戦でしのぎを削る10組の中の残り1枠を競う戦いが繰り広げられ、
会場は大いに盛り上がりを見せていたのだが、
なら、いっそのこと、この場をもう「敗者復活戦」ではなく、
「準決勝」として扱い、そこまでに残った約30組から、決勝戦に進む5組ほどを選び取って、
決勝は、その5組による「一発勝負」で決めたらいいのではないか?と、
僕は思ったのである。


なぜ、こんな事を思いついたかというと、
先に決勝戦に選ばれていた9組の中に、
名前こそ出さないが、
僕の個人的感想として、

準決勝で敗退したいくつかのコンビよりも、明らかに面白くなかったコンビが数組いるように思えたからだ。


勝戦では、
毎年のように「え?この人たちが決勝まで進んだの?」という違和感を覚えるグループが必ず数組発生する。


準決勝までの審査員の顔ぶれは、僕が知り得る情報では、
主に放送作家やお笑いスクールの講師を務めている方などがそのほとんどを占める、と聞いたことがある。


毎年、準決勝でネタを終えた芸人が一同に集められ、
決勝に進む芸人の名前が次々と読み上げられた瞬間、
芸人たちの一喜一憂の光景が展開されるのは、もはやお馴染みのものであるが、
あの準決勝から決勝への過程は言うなれば、半ばブラックボックス化していて、
我々一般人には、採点が公に公開されていないわけである。


放送作家構成作家という立場の方たちは、決勝で審査する松本人志氏を始めとした有名芸人たちよりも遥かに、
普段から仕事の打ち合わせや、現場での共同作業において、
密接に芸人と関わり、芸人たちの普段からの態度や頑張りを見る機会も多いはずで、
その分、決勝の審査員よりも、
「情」や「思い入れ」が加わりやすい立場であると推測される。


もちろん、準決勝までで審査をしている方たちも、
個別の芸人との関係性や付き合いをひとまず脇に置いた「ガチ」の姿勢で審査しているとは思う。

しかし先日の放送を見て、
「ええ?これが決勝で、あれが準決勝敗退?」となった僕としては、
準決勝を、決勝と同日の公開放送として(まあ別日でもいいと思うが)、
今回披露した新審査方式のようなかたちでも、あるいは別の方式でもいいから、
とにかくパブリックなものに変えて欲しいと思ったのだ。


かつてオール巨人師匠も、
サンドウィッチマンか、アンタッチャブルかが敗者復活から勝ち上がって優勝した時に(どっちの時だったかな?忘れた。スマン)、
「この人らが決勝行けなかったんですか?
(審査員は)何を見とったんやろね?」といった苦言を呈したことがあるではないか。


敗者復活という設定は、「下剋上」という、日本人が好むドラマを生み出す要素もあるので、

一概に全否定できない部分もあるが、
個人的には、もう敗者復活という「二度手間」は要らない、と考えている。


テレビ放送が伴う敗者復活戦をしてしまうと、
そこにいる芸人は、決勝戦ファイナルラウンドまで勝ち上がった時に、
他のコンビと違って、テレビ上で3回もネタを披露しなければいけないのである。


決勝での審査員は、
敗者復活組のネタを見るのが、その場では初めてであったとしても、
勝ち上がった芸人側からすれば、
敗者復活からテレビで視聴している一般人の目もあるし、
実際に、視聴者からも「さっきやったネタじゃん」と、繰り返しに不満を覚える人も出てくると思われるので、
芸人の中には、「敗者復活で勝ったネタを、もう一回やるのもな・・・」という引け目を感じる事もあるかもしれない。


敗者復活の大々的なテレビ放送は、
明らかなハンディキャップを、一組だけ背負わせてしまう事になると思うのだ。


芸人側からしても、準決勝まで来た以上、
採点結果が公にさらされることで白黒はっきりしたほうが、
勝ちがい、負けがいがある、と思うのではないだろうか?


M−1という大会は、良い意味でも悪い意味でもまだ発展途上にあると思う。


「専門家だけが、密室で話し合って、先んじて決めておきました」は、
今の時代の流れにおいて、もはや説得力を持たないと僕は思うのだが、どうだろうか?