昨日は、自宅で「空白」を鑑賞。
2021年公開の日本映画。
スーパーマーケットで、女子中学生の万引き行為を疑った店長が、店内で少女を捕捉するが、少女は店を飛び出す。
店長も外に飛び出して少女を追いかけるが、
逃亡の末、車道に飛び出した少女は、ちょうどその時通りかかった乗用車にはねられてしまう。
1台目の乗用車にはねられた時はまだ意識はあったが、
その後やってきた大型トラックにも轢かれてしまう。
トラックの車体下に引っかかり、そのまま何メートルも引き摺られたような状態で少女は絶命する。
執拗に自分の一人娘を追いかけたスーパーの店長・青柳直人(松坂桃李)に根深い恨みを持つようになる。
娘を失った父親、少女を追いかけたスーパーの店長、少女をはねた乗用車の女性、
その他主要人物に関わる様々な人たちが感情をぶつけ合い、疲弊していく様が描かれるヒューマンドラマ。
まず、映画が始まってしばらくすると訪れる少女の事故シーンだが、
これがかなりショッキングな描写である。
僕はこれを見た時、思わず声に出して
「うーわ・・・・」と、小さく呟いてしまった。
まさに文字通りの「衝撃シーン」だ。
ここから最後まで、ほぼ飽きさせる事なく、物語は進行していくのだが、
この「物語に没入させる」という点においては、この映画が世間の多くの人から高評価を得ている理由がわかるような気がした。
俳優さんたちの演技は確かなものだし(と言っても、僕的に細かく言いたいことがあって、それは後述する)、
扱っている内容が「交通事故の後処理問題」という、誰にでも起こりうる、他人事ではない事柄なので、
やはり多くの人が、大いなる関心を持って見ようとするのも想像に難くない。
僕自身、この「事故に関わった者すべてが精神を削られていくさま」を、
眉間に皺を寄せながら鑑賞していたが、
見ているうちに、どうしても納得のいかない点、違和感を感じる点が吹き出してきて、
それらは最終的に解消される事なく、映画は終わってしまった。
まず考えたいのは、
少女は2台の車に轢かれているのだが、
父親の充に謝罪に来るのは、1台目の乗用車の女性(と、その母親)だけなのである。
2回目に轢いて、少女を完全に死に至らしめた
トラック運転手は、警察の事情聴取を受けているシーンに出たきり、
このドラマに全く絡んでこないのである。
現実に沿って考えると、これはどう考えても変であると思う。
確か2台以上の車が人をはねた(轢いた)場合、
これは「共同不法行為」と言って、被害者はそれぞれの加害者に対して、全額の賠償請求ができるはずである。
法律をさらに細かく見ていくと、さらに複雑な取り決めがあると思うが、ざっくり言うと、どちらの車輌にも責任は生じるはずである。
なので、この物語にトラック運転手を絡ませないのは、どう考えても僕には違和感しか感じなかった。
次に、万引きを疑った時の店長・青柳の判断。
少女がスーパーの化粧品売り場で、マニキュアだか口紅を手に取った瞬間、
青柳は少女の手を掴み、スーパーのバックヤードに連れて行こうとするのだが、
万引き行為は「精算せずに店の外に出た時点で犯人を捕捉」しないと、
店側に大変なリスクがあるはず。
店の中で「あなた、今、うちの商品をカバンの中に入れたでしょう?」と、万引き犯と思わしき当該者を問い詰めても、
「はあ?!ちゃんと会計するつもりだったわ!
何、この店?
ちゃんとお金払うつもりだった人も万引き犯に仕立てあげるの?!」
と、逆に訴えられる可能性が高いからである。
こうなると店側は大変に不利になる。
なので、万引き犯の逮捕は、店外に行った時点で声かけをするのが基本原則のはずだ。
「精算していない商品を持ったまま店を出たのを、確実に目視確認してから、声を掛ける」のは、原則中の原則だろう。
それをスーパーの店員、ましてや店長たる者が、その事が頭に入っておらず、店の外に飛び出した犯人を走って追いかけるのはいかがなものか。
万引き犯逮捕、捕捉には、今挙げた例以外にも「店外10メートルの原則」というルールがあって、
これは店員、警察、警備員は必ず知っておかなければいけないらしい。
(興味のある方は、以下のリンク先へどうぞ↓)
https://www.spnet.biz/spnet_part_2/shifukuhoan_nyumon/shifukuhoan_3_1_01.html
このような基本も知らずに、
感情に任せて、少女を交通事故死に間接的に至らしめた店長の過失は、ある程度問われても仕方がないとは思うのだが、
劇中で店長の青柳は、自分の軽率な行動(少女を執拗に追いかけた事)を反省しつつも、
「万引き被害に遭った店側が、なぜこんなにも世間から非難されないといけないのか?」と疑問を呈する場面もあり、
僕はこのシーンを見て、
「いや、君が原則のルールを守ってないからだろう」と、ツッコんでしまった。
あとは・・・古田新太演じる少女の父親・充が、恐ろしく性格の悪い親父なのだが、
この人の人物像を描く際に、
最初の方で、もう少し「荒いけど、ちょっと優しい一面もある」という要素を入れときゃ良かったのに、と思った。
冒頭のシーンで、充に口汚く指図された、
若手の漁師の子が、
「あんなヤツ(充のこと)と一緒にやってらんねーよ!クソジジイが・・・」となる。
けど、途中から「俺、やっぱり充さんと一緒にやりたいんすよ」となるのだが、
充という人間は、僕の見ている限り、
「けど、このおっさん、たまに優しい一面もある」というのが、そこに至るまで全然見受けられないので、
「え?若手くん、なんでまたこのおっさんと一緒に仕事する気になった?」と、不思議で仕方なかった。
そんな充も終盤にかけては、良い面を見せ始めるのだが、
それがなんだか僕としては、唐突に感じてしまって、なんとも言えない違和感を感じた次第。
「なんや、おっさん、急に丸くなってきたぞ」という違和感を拭えなかったので、
やはり、ほんの少しでも良いから「このおっさんも、ちょっとはええとこあるんか」と思わせる、1シーンなりが欲しかった。
そういった「たまに優しい一面」を見せておくと、
後々の娘が死んでからの「狂気っぷり」や
「非常識さ加減」が活きてくるのに、と思ったのは僕だけだろうか?
あとこんな事を言うと、
充を演じる古田新太さんに大変申し訳ないのだが、最後の方で青柳と対峙して、
充が心情を吐露するシーン。
あそこはもうちょっと「ためて」、
もう少し「間」をとって、セリフを言ってほしかった。
あそこはちょっと、
あの心情を吐露する喋り方にしては、セリフ回しが流暢すぎるというか、
抑揚に掛けるというか、
台本をなぞっているだけっぽく感じるというか(あ、ひょっとして言い過ぎ・・・・?)、
ズブの素人である僕が、日本を代表するベテラン俳優さんに対して、恐れ多すぎる事をのたまっているのは百も承知なのだが、
あそこはちょっと残念だった。
そもそもの話なのだが、僕はこの映画を見始めた最初の方から、
充や、その他のほとんどの登場人物が使っている「標準語」に、違和感を感じていた。
この映画の舞台は愛知県の蒲郡(がまごおり)市で、
僕は登場人物のほとんどを、
「長くこの地に住んでいる地元民」として見ていたのであるが、
あの地域の人たちが使う言葉って、みんな「きれいな標準語」なのだろうか?
「三河(みかわ)弁」という方言を使う地域と思うのだが、
あの地域は、あの「関東の人のような標準語」の喋り方で良いのか?
ただ、僕は三河弁を生で聞いた事がないので、もしあの地域に住んでいる方がこの映画を見た時に、
「ああ、あそこら辺の人は、みんなほぼ標準語の喋り方するよ」と言われたら、
「あ、そうなんですね。すいません」と言うしかない。
あと気になったのは、映画に出てくるマスコミ報道のチープな描き方。
特にニュース番組の描き方。
あのニュース番組のセット・・・。
令和の時代のニュース番組のセットか、あれ(苦笑)。
ワイプに映ったコメンテーターのわざとらしい驚きの表情とか、
キャスターのコメントとか、もう描き方がチープさ極まりない。
こういう物語って、リアルにいかに近づけるかが生命線のようなところがあると思うのだが、
今までの記述で示したように、
ところどころ違和感を感じる部分があって、それがとても残念だった。
世間の高評価に釣られて見たが、
僕の評価は100点満点で50点。
色々、残念。
ただ、青柳店長が「のり弁当に唐揚げが入ってない」事でブチ切れるシーンは良かった。
あの一連の演技は素晴らしいと思う。
他にも演者さんの演技に対して「ここ、良いなあ」と感じる箇所はいくつもあった。
具体的に一個一個書くと、
この時点で既に長めの今日の記事がかなり長くなってしまうし、これ以上のネタバレは映画未見の人にとっても申し訳ないので、控えておきます。
という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。