僕は小学校2年生と3年生の時に、
2年連続で学校の授業中にオシッコを漏らした経験があるという、おもらし界のプロである(笑)。
1回目の2年生の時は、国語の授業中で担任のゴトウ先生(男性)が黒板に「切」という漢字の書き順を教えていた時。
2回目の3年生の時は、音楽の授業で担任のカワサキ先生(こちらも男性)がオルガンの弾き方を教えていた時である。
1回目の時のゴトウ先生は、当時20代後半くらいだったと思うが、怒ったらめちゃくちゃ怖かった。
何か忘れ物などしようものなら、容赦なくビンタが飛んできた。
いま考えると、いかにも昭和の先生という感じ。
とにかく、何か先生の気に触る事をしでかすと、ほぼ100%の確率で鉄拳が飛んでくるのは間違いない先生だった。
そんな先生だから、おもらしした時の僕は、授業中に手を挙げてゴトウ先生に「先生、トイレに行ってきていいですか?」と言うのがおそらく怖かったのだろう。
なんとか我慢して乗り切りたかったのだが、その夢は絶たれ、漏らしてしまった。
当然、クラス中のみんなから笑われたが、その時、ゴトウ先生がみんなに「笑うな!」と一喝したのがとても印象的だった。
今思うと、生徒に暴力を振るっていたのは良くないことだが、先生はあまりにも体育会系かつ真面目な人だったのだろう。
ゴトウ先生が「笑うな!」と一喝して、笑いはその瞬間だけは止むが、子供がそれで黙っているわけがない。
漏らしてから先生と共に教室を出て、体操服に着替るために、いったん保健室なんかに行ったりしたと思うのだが、その日の事はいまいち覚えていない。
精神的ショックから記憶が一時的に飛んでしまっていると思うのだが、漏らした当日には、当然一部のヤンチャなクラスメートから、からかわれたり、おちょくられたりしたと思う。
T君という男の子が、窓の外側にある転落防止のための鉄パイプに僕のパンツが干してある(なんでそんな目立つところに干しているのだ?笑)のを匂って、
「くっせー!」と僕に言ってきたのは、強烈に覚えている(笑)。
粗相(そそう)をしでかした僕は、言い返す事もできず、ただただ恥ずかしそうに苦笑いをしていたのだが、
不思議とみんなの笑い者にされたのは、たぶんその1日くらいで、翌日から何事もなかったように元気に友達と遊んでいた記憶がある。
もしかすると、あまりにも辛いのでその後数日間の記憶を僕の脳が改ざんしている可能性もあるのだが、
やはりどう考えても、「おもらし」を引き金に僕へのいじめが始まった、というような記憶が全くと言っていいほど無い。
逆に僕の濡れたパンツを匂って「くせー!」と僕を笑ったT君のほうが、その数年後に、主に不良グループから割とガチのいじめに遭うのだから、人生はわからない。
こんな事は人生で、できればゼロ回、あってもせめて1回に留めたいところだが、
僕はクラスメートを笑わせるのが好きなようで(笑)、先述の通り翌年もやらかす。
1年前と違うのは、国語の授業が音楽に変わり、担任の先生が変わったということ。
それ以外は前年とほぼ同じような流れだ。
当然、その日はただただ恥ずかしい思いをしてやり過ごす事になるのだが、どういうわけか、この時も囃し立てられたのは、僕の記憶が正しければ、その日だけである。
次の日から、みんなからのいじめが始まり、学校に行くのが辛くて辛くて、という思いをした記憶が全くない。
それよりも辛かったのは、給食のメニューの中に入っている「肉の脂身」の方だった。
小学校当時、僕は牛、豚、鳥とあらゆる肉の脂身が食べられなかったので、学校に行くのが辛かったのは、むしろ給食のメニューで肉を使った料理が出る日だった。
あと泳げなかったので、夏に水泳のある日は地獄だった。
話を戻して、
1回漏らすだけでも致命傷なのに、2年連続で漏らして、なぜ僕はいじめに遭わなかったのか?
要因は2つあると思っていて、ひとつ目は、
これは手前味噌で恐縮なのだが、
今思うに、僕はおもらししたことも霞ませるくらい「クラスの中では面白い子だったから」なのかな?と勝手に思っている。
はっきり言って、クラスの中では、けっこうみんなを笑わせる能力があったと思っている。
小学生でおもらしを自虐ネタに使えるほどの高等技術は僕にはなかったが、
生来の天真爛漫で憎めないアホな性格と、要所要所で人を笑わせる事のできる特殊能力が、
「アフターおもらし」のリカバリーに大いに役立った、と自分では分析している。
まあ、その後調子に乗りすぎて、仲良くしていた友達連中から一時的にハブられたり、という経験はしたが。
そして、ふたつ目の要因だが、
どちらというと、こっちの要因の方が正解かもしれないが、結局人は「他人の事には興味がない」のだ。
確かに僕は、平凡で退屈な日常に一石を投じる「ネタ」をクラスメートに提供したわけではあるが、人の噂も七十五日ってなもんで、結局時が経てば「風化」するのである。
クラスの誰かが授業中にオシッコを漏らしたとて、家に帰ってお父さんとお母さんが毎日喧嘩してるような家庭の子なら、そっちの方が人生の最大の関心事だろう。
「お父さん、お母さんが毎日喧嘩して辛い。けど僕は、シンゴがオシッコを漏らした事の方がもっと大事なんだ。」ていう子供がいたら、
ちょっとした変態である。
なので、この事件が後の僕の学生生活に暗い影を落とした、という事はない。
しかし、ただ一人、「コムラ」という男子生徒がいて、あいつだけはしつこかった。
中学に上がってもなお、僕の顔を見るなり「おもらし」の事をイジってくるのだから、あれは鬱陶しかった。
彼もどちらかと言うと「オモロいやつ」ではあったが、若干、ドラえもんで言うところの「スネ夫的」な感じがあるというか、割と人の弱みにつけ込んで笑いを取りにくるようなスタイルだったので、当時の僕にとって天敵であった。
ちょっとした復讐心もかねて、「K君」というイニシャルではなく本名で書いたった。
(もし、このブログが本人の目に触れて「実名はやめて」と言ってきたら「K君」に修正する。コムラ君、その時はいつでも言ってきてくれたまえ。)
まあ、もうお互い40代中盤のおっさんなので、同窓会なんかで会うことがあったりしたら「お前だけは、しつこかったのう(笑)」と、笑いながら一言、言わせてもらうつもりではいる。
そして、これは実は人生で初公開の告白なのだが、
僕は学生時代にあと一回だけ、オシッコを漏らしている(笑)。
それはなんと、中一の時(笑)。
これにはコムラもびっくりだろう(笑)。
と言っても授業中ではない。
安心してほしい(?)。
さすがに中一で授業中にオシッコを漏らしたら、小2小3と同じようにやり過ごす事は恐らく困難だ。
かなりハードルの高い人生を歩む事になるだろう。
僕が中一の時にオシッコを漏らしたのは下校中で、もう家まであと5メートル、という距離での事である。
おもらし界的には、1回目でセミプロ、2回目でプロになっているので、3回目ともなると、こなれたもんである。
もう少しで玄関!というところだったが、まわりを見たら人がいなかった(と思う)し、
「もうええわ」と思って学生服のまま、漏らしながら家の玄関までの5メートルの距離をスタスタと歩き、鍵を開けトイレに直行した。
トイレで淡々とズボンとパンツと靴下を脱ぎ、洗面所でバケツに水を溜め、洗剤を入れてジャバジャバと洗い、洗濯機で脱水。
雑巾で玄関や床を素早く拭いた後、
学ランの上だけ着て下はフルチン、というスタイルで二階に上がり、タンスのある部屋に入ってパンツを素早く履き替えた。
このタンスのある部屋は、基本的に親が使う部屋なのだが、
幸い、母親は買い物に出かけていて居なかった。
そういえば、今思い出したが当時小4の妹も家に居なかった。
多分、放課後のクラブ活動でもしていたのだろう。
いるとわかっていたら、ひとまずフルチンの状態で部屋にこもり、布団を被って身を潜め、
母親(もしくは妹)が自分の部屋の扉の前を通り過ぎる際に、
布団から身を出さずに「ただいま」と声をかけて、
もし母親がそこで「なんやの?あんた。布団になんか入って。」と声をかけてきたら、
「ちょっと、眠たくてしゃあないねん今日。」などと適当な事を言って、やり過ごせる自信があった。
これが、おもらしプロのやり方である。
以上、僕の学生時代の恥ずかしい思い出話だが、今日言いたかった事は、
「みんな、空き時間にちゃんとトイレは済ませておこう」という事である。
というわけで(笑)、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。