シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「ドリームプラン」(核心部のネタバレはなし) アメリカにもいた亀田ファミリー的な人たち。 

 

7月14日、

自宅で「ドリームプラン」を鑑賞。

 

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日本公開は2022年。

製作国はアメリカ。

 

テニスの腕前は、ほぼ素人でありながら、

独自の育成プランを立て、

それを実行し、

2人の娘を世界的テニスプレイヤーに育て上げた父親と、その家族の物語。

 

その世界的テニスプレイヤーとは、

テニス界史上最強と言われる、

ビーナスとセリーナの、ウィリアムズ姉妹である。

 

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テニスにほとんど興味がない僕でも、

さすがにビーナス・ウィリアムズと、

セリーナ・ウィリアムズの名前は知っている。

 

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テニスには全く詳しくないが、

「2人ともめちゃくちゃ強い」事は

知っている。

 

この最強の姉妹が、

どのような道筋を経て、現在の地位にまで上り詰めたのかを、

この映画を見ることで、僕は初めて知ることになったのだが、

伝統的に白人富裕層中心に形成されてきた、

と言えるテニス界において、

これは、なかなかの成り上がりっぷりである。

 

父親のリチャードは、

夜は警備の仕事をしながら、

昼間はほぼ毎日、娘たちのコーチングに精を出す。

 

家族が住んでいるカリフォルニア州のコンプトンという街は、

治安の悪い場所で、

ギャングのような連中が、縄張りを張っているような危険な地域だ。

 

「住んでいる地域はガラが悪い」、

「お金もコネもない」、

「父親は別に、かつて大したテニスの選手でも何でもない」、

「そんな父親が、自分独自で考えた練習メニューで世界最高を目指す」、

「ちなみに父親の性格は、ひとクセあり」

 

・・・これはまさに、

日本における亀田三兄弟のような話ではないか(この映画は二姉妹だが)。

 

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(↑亀田三兄弟

とにかく、

「ビーナスとセリーナを、世界的テニスプレイヤーに育て上げる」

というリチャードの執念というか、

ある種の「狂気」さえ感じるほどの

情熱は、凄まじいものがある。

 

今作を見る限り、

少なくとも僕の目には、

リチャード・ウィリアムズという人は、

「娘たちの夢を全力でサポートするお父さん」であると同時に、

「けっこう独善的で、娘たちの成功を自分の目標にもしている人物」

のように思えた。

 

まわりの人間が、リチャードの打ち出す方針についていけず、

感情を露わにして反論するシーンがいくつかあるのだが、

それらを見ていると、

「親子二人三脚で夢を叶えた素敵な物語」と

単純に捉えられない、

なにやら複雑なものを、僕は感じたわけである。

 

リチャードは、

「なるほどな。まあ、それもそうかもしれん」

と、映画を見ている者に思わせるような、

子育てにおける、自分なりの確固たる哲学、

論理を持っているし、

エンディングでも確かに良いことを言っているのだが、

でもやはり、

「なんか・・・どこかしら怖いものを秘めてるんだよな、この人」と、

僕は感じてしまうのだ。

 

確かに、ビーナスとセリーナは、

この父親がいなければ、

その才能を世に見出されることはなかったのかもしれないし、

スポンサー企業との交渉においても、

この父親が間に入っていたおかげで、

自分たちに有利に働く契約を勝ち取れた、

と言ってもいいだろう。

 

「ドリームプラン」という作品のタイトルは邦題であり、

原題は「King Richard」なのだが、

実際に映画を最初から最後まで見ると、

僕の感覚では「ドリームプラン」より、

「King Richard(リチャード王、あるいは王様リチャード)」の方が、

やはりしっくりくる感覚である。

 

本当に彼は「自分のやり方が、絶対」と信じて疑わないのだ。

 

物語の中盤で、

ビーナスとセリーナの二人は、

リック・メイシーという元プロテニスプレイヤーの運営する、

名門テニススクールで指導を受けることになる。

 

ここで、リチャードとリックが、

2人の娘の育成方針の食い違いにより、

大激論を交わすことになる。

 

リックの主張する内容は、

「ビーナスの準備はできている。試合を経験させろ」というものであり、

これは「テニス界の常識、セオリー」である。

 

かたやリチャードの主張は、

「試合にはまだ出させない。

練習を積み重ねることで自信をつけさせたいし、彼女たちが、テニス以外でも人間として仕上がらないうちは、試合には出させない」

というもので、

これはリチャードの人生経験や、

リチャードの信仰(彼及び、彼の家族はエホバの証人の信者である)、

哲学などから導き出された「リチャードが考える教育理論」である。

 

僕の考えでは、

ビーナスとセリーナの持つ才能からすると、

どちらの道を取ったとしても、

彼女らは、実力的には最高レベルのテニスプレイヤーになったのだと思うが、

要するに、リチャードの考えは

「テニスで頂点に立ってほしいが、

『テニスだけの人間』にはなってはいけない」という事なのだろう。

 

この考えは、

プロ野球選手の桑田真澄氏の哲学を思い起こさせるものがあり、

桑田氏も常々、

「野球ばかりやっていて、社会や世間の事は何も知らない。

世の中、それじゃ通用しないんです」と言っている。

 

この桑田氏の哲学には、

僕も大いに賛同しているので、

このシーンにおけるリチャードの主張は、

ビーナスというプレイヤーを「腐らせてしまう」リスクを孕んではいるが、

確かに一理あると思った(でも結局のところ、リチャードはビーナスの意志を尊重して、試合に出場させることになる)。

 

この映画を見ていて、つくづく思った事は、

「成功と失敗は、紙一重であり、運という要素はやはり大きなウェイトを占める」

ということ。

 

劇中、リチャードは、

けっこう危ない橋を渡っている。

 

ネタバレになるので詳しくは書かないが、

下手したら、彼は人殺しになっていたかもしれないし、

逆に殺されていたかもしれない。

 

これは単に僕の勝手な想像だが、

リチャードは、

なんせ自己主張が強い人間なので、

一部の人間には相当嫌われているだろうし、

成功を手に入れたものの、

それらと引き換えにもたらされた影の部分も、

少なくはないように思える。

 

とまあ今回、

主役のリチャード・ウィリアムズという人物に対しては、

やや否定的な見解ともとれるレビューであるかもしれないが、

実際に2人の娘は「世界最高のテニスプレイヤー」になったのだから、

そこはもう素直に「すごい」と言わざるを得ない。

 

見る前に僕が勝手に抱いていた、

「夢は信じれば叶う」的な、

「泣ける要素も盛り込んでおります」的な、

ありきたりな演出を主軸にしたストーリーではなかったことが、

実のところ、逆に良かったと感じていたりもする。

 

今作に対する僕の評価は、

100点満点で、82点。

 

「独学と言えるやり方で、テニスを教える父親が主人公」という事で、

それこそ「亀田三兄弟」的な、

独特すぎて、ちょっと笑えるような、

オリジナルトレーニングの数々が紹介されるのかと思いきや、

意外とそのような感じのシーンはほとんどなく、

作風としては、割と地味。

 

ちなみに、

リチャードを演じているのは、

アカデミー賞の受賞式で何かと話題になった、

ウィル・スミスである。

 

物語の途中、

娘たちに対する躾としても、

「おい、それはやりすぎだろ」という事をしているが、

流石に、娘たちにビンタはしていないことを、

念のため伝えておく(笑)。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。