今日は朝4時半ごろに目が覚めて、そこから眠れなくなる。
休日の日は本当にこれが起こりやすい。
恐らく深層心理的なものが働いているのだと思うが、いちいち悩んでも仕方がない。
自分の体はそういうものだと割り切って、今日については、そこからいつもの起床時間まで「頑張って寝ようとする」事はやめ、
起きて食事して、Amazonプライムビデオで映画でも見ることにした。
というわけで、今日見た作品はこれ。
予備知識全くなしの、いつもの高評価に釣られての見てみようパターン。
舞台はイギリスのニューカッスル。
40年以上にわたって、大工として仕事をしてきたダニエルは心臓発作が原因で、医者から「仕事はしないように」と診断される。
仕事ができないので、国に援助を求め給付金受給のための審査を受けるが、「職務遂行可能」と判断され、それに不合格。
やむなく役所のすすめで、今度は「仕事を探している」体で「求職者支援の給付金」の受給を求めるが、パソコンの操作や書類の類が苦手な職人気質のダニエルは、役所が提示する煩雑な手続きに翻弄され、手続きは遅々として進まない。
そんな中、役所で職員と口論になっていた母子(母親の名はケイティ)と出会い・・・というもの。
内容をはっきり確認せずに見始めたが、
奇しくも1週間前に見た日本の映画「護られなかった者たちへ」と同様、
「福祉の問題」を題材にした映画だった。
(「護られなかった者たちへ」の投稿記事↓)
https://shingosan.hateblo.jp/entry/2021/10/07/204909
「護られなかった者たちへ」は、生活保護を取り巻く問題にサスペンス要素を絡めた、ある種のエンタテイメント作品的な仕上がりではあるが、こちらはそういった類いの演出はほぼなし。
様々なシーンを盛り立てるためのバックに流れる音楽もほぼ皆無。
映画はフィクションであると思うが、弱者が支援を受けるまでの道筋が、ケースによってはいかに当人にとって面倒なものか、がダイレクトに伝わってくる。
冒頭、ダニエルが役所から業務委託を受けた民間業者の質問に受け答えする、という場面(と言っても音声のみ)から始まるが、
ダニエルが質問の方向性に疑問を抱き、イラついた様子で質問者に皮肉をぶつける。
ダニエルは根は温厚な男ではあるが、自分が納得のいかないもの(役所の自分に対する対応の仕方など)には徹底的に毒づいて、役所の職員を困惑させる。
役所側の人間からしたら、
「こちらが提示した手続きに素直に従わない偏屈オヤジ」である。
この点は僕も映画を見てて、
「ダニエル、もうちょい素直になってもいいんじゃないか?」と思ったりもしたのだが、
それでもやはり役所のやっている「四角四面」で融通のきかない仕事のやり方は、支援を求める人たちに対して「優しくなく」、
給付金を受けられずに、家財道具まで売ってなんとか生活を維持しようとするダニエルの姿を見ていると、
「やっぱり世の中、なんかおかしくないか?」という疑念も湧いてくる。
この映画を見たあと、レビューサイトで色んな方の意見を見させていただいた。
概ね高評価であるが、中にはダニエルの態度や言動に疑問を呈す意見もあり、それが映画自体の低評価に繋がっているレビューもあった。
まあ、その人の意見もわかる。
わかるんだけど、監督は恐らく「皮肉のひとつやふたつも言いたくなる、こんな面倒で矛盾した手続き」を映画を通して見せるために、
この「ダニエル」という、「不器用でちょっと偏屈な一面があって、自分の思っている事はきっちり言わせてもらう」というキャラクターを設定したんじゃなかろうか?と僕は思った。
こないだ見た「護られなかった者たちへ」も、今回の「わたしは、ダニエル」も、見ていて思う事は、
普通に元気に生活していたのに、ある日を境に急に「社会的弱者」になるのは、僕には決して他人事とは思えない。
過去に僕の両親が突然の病気で倒れ、まさにそのような状態になって、
僕と僕の妹は、それに伴う行政関係の手続きに翻弄され、大変な思いをした経験がある。
あの時の経験を振り返ると、こちら側にも落ち度はあったのだが・・・まあこの話は映画の話とは離れていくので、ここで語るのはやめておこう。
何はともあれ、誰もがこの映画で描かれているような、社会的弱者になる可能性はある。
とても地味な映画で、派手さは一切ない。
見ていて悲しい気持ちになるシーンも多い。
ダニエルは、ケイティとその2人の子供と出会ったり、隣人の若い黒人との近所付き合いもあって「完全孤立」していなかった分、まだ幸せだったかもしれない。
この世から「惨めな思い」を抱えて生きなければいけない人が、一人でも多く減る事を願ってやまない。
僕の評価は100点満点で80点。
というわけで、今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。