シンゴさんの、ふとしたつぶやき。

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

睡眠障害もなんのその

3月26日(金)晴れ。

現在4連休の2日目。

今日は9時頃起床・・・と言いたいところだが、実際には朝の5時頃にいったん目が覚めてしまっており、トイレに立った後、

もう一度布団に潜り込んで、普段の起床時間である9時くらいに起きれたらいいな、という思惑だったが、横になっても全く眠れない。

 

布団の中で、体を出来るだけリラックスさせて

目を閉じていたが、結局9時までに断片的に意識が落ちたのが2回ほどで、どちらとも睡眠時間としては15分ずつ程度のものであったと記憶している。

 

前にも書いたが、僕は幼少期から睡眠障害を抱えていて、こればっかりは、もういちいち悩んでいても仕方がないと思っている。

 

「ああ、昨日の晩はよく眠れたなあ」と気持ちよく1日がスタートできたと思えた日でも、

しばらくしてから何故か頭痛がしてきた・・・という日は数え切れないほど経験しているし、

逆に「あまり眠れなかったなあ」という感じでスタートした日でも、少しの昼寝をしただけで

その後は割と快調に過ごせた、という日もまた数え切れない程あるので、もう自分の睡眠障害については、ある時期から「いちいちクヨクヨしない」と決めている。

 

「目をつぶって数分もしないうちに意識が落ちて気がついたらもう朝になっている」という、

からしたら憧れるような体質の人も、実際その人は1年365日の間、体調不良もなく常に元気にストレスフリーで生きているのか?と聞いてみたら、意外とそうでもなかったり、

また、睡眠が取れてる、取れてないとは別問題の、その人ならではの色んな問題や悩みに苦慮しながら生きている、という可能性もある。

 

だからもう「いちいちクヨクヨしない、気にしない事」にした。

 

「けど、こうやって文章に起こしているという事は、やっぱり気にしてるんじゃないの?」と他人から指摘されそうだが、

これは単に自分が持っている症状をありのままに書いただけだ。

 

記事の中で「今日はしんどい」「だるい」と吐露しても、それは自分のある時点での状態を説明しているのに過ぎないわけで、

 

この睡眠の問題自体が「辛い。苦しい。これのせいで自分の人生の歩みが停滞させられている。」という精神的な影を生み出しているわけではない、と強調しておきたい。

 

・・・さて前置きが長くなったが、

今日は5歳上(だったと思う、確か)のいとこが久しぶりに家を訪ねてくる予定なので、歯磨き後、

一通り部屋を掃除し、ある程度まで片付いたなと思えた段階で自宅を出て、いつもの難波のジュンク堂書店に向かう。

 

今日に関しては「眠れなかった割にはまだ調子は良い方」の日だ。

こんな快晴の日に降り注ぐ太陽の光は、本当に気持ちがいいもので、

やはり1日のスタートに(もう少し早い時間だと尚更良いが)朝日を浴びておくというのは、

人間にとって、とても大事なことだと思う。

 

今日、読んだ本は仏教関係が中心。

昨日、手に取った「マンガ 歎異抄」の続きを今日も読もうとしたが、どうやら売れてしまったのか、在庫の入れ替えがあったのか、はたまた他に立ち読みした人が直すときに元の場所に戻さなかったのか、理由はよくわからないが見当たらない。

 

仕方ないので、別の漫画形式で書かれたこの本を一から読むことにした。f:id:otomiyashintaro:20210327014702j:image

これが実にわかりやすく読みやすい。歎異抄という仏教書の入門には、これまたもってこいの中身であると思う。

他に手に取って読んでみた本はこんな感じ(大愚元勝和尚のものだけ写真を撮り忘れたので、Amazonからの転載)

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どれも難解さを排除した、誰にとっても親しみやすい、わかりやすい文章で書かれていて、

「このような親しみやすさ、わかりやすさ、明快さで書かれている事自体が、お釈迦様の説いた教えに乗っ取っているなあ」と、おこがましいながらも思えてくると、時折、読んでいるうちに涙が込み上げてきそうになったり、心が晴れ晴れとしてきて、清々しい気持ちになる。

 

もちろん、難解な類の仏教書物や解説書は駄目、とかいう意味ではないので悪しからず。

本来的に、難解と平易の関係に優劣や価値の上下関係などないのだ。

これまた僕のような者が語るにはおこがましいが、仏の教えに則るならば、

この宇宙に溢れる全てのモノ、コト、現象は「それそのもの単体では成り立たない」。

全ては関係性があって成り立っている。

全ては「縁」によって成り立っている、という事だ。

この事実を「真に」体感、経験したときに人は「悟り」を開くのだろうと思う。

 

これらをしばらく読んだ後、

昨日紹介した「LIMITLESS 超加速学習」の続きを読んで書店を出る。

これもまだ前半の触りだが、非常に興味深い内容が出てくる。明日以降も読もう。

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13時にいとこと合流。

お昼ご飯を買って帰って、僕の家で懐かしの昭和歌謡YouTube動画を見たりしながら二人で雑談を楽しみ、夕方からプロ野球の開幕戦(ヤクルトVS阪神)を見る。

 

僕は、阪神の90年代暗黒期からの根っからの阪神ファンだが、2021年の阪神は打撃陣、投手陣共に、去年に比べて・・・いや、ここ数年と比べても稀に見るほどの高いレベルの人材が揃っており、最高に戦力の厚みが増していると思う。

 

セリーグの優勝争いは巨人と阪神の一騎打ちの様相になるかと予想している。

それはさておき、このコロナ禍の中、まだ前途は読めず楽観はできないが、プロ野球が無事開幕できたことに感謝。

 

というわけで、開幕試合は阪神の勝利で終わったところで、21時半頃、いとこは帰宅。

 

その後、お風呂、洗い物を済ませてから、

今日は野球中継の裏で放送していた「ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 大予言スペシャル」を録画しておいたので、それを視聴。

 

最近はYouTubeの台頭で、芸人さんがストーリーテラーとして提供する話題も「ああ、これってYouTubeで見た話やなあ」というものが多くなってしまって、同番組の初期の頃に比べるとワクワク感が薄れつつあるのは否めないが、

やはり関暁夫氏の枠については、心に手垢の付きまくった40代中盤の僕のような男でも、瞬時に童心に帰れる面白さがほとばしっている、と僕は思うのだが皆さんはどうだろうか?

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僕のようなオカルト都市伝説大好き人間にとって、核心部分が大人の事情でボカされつつも、このような内容が地上波で披露されるという事は、

大袈裟かもしれないが、情報のマス拡散において、なんだかんだ今でも最大の影響力を持つテレビの中の「最後の砦」ではないだろうか。

 

オカルト、都市伝説、陰謀論界隈では

「近々、何か非常に大きな事件、発表、パラダイム転換があるのではないか?」と囁かれているが、

今回の関さんが語った内容が、その憶測や妄想(と言ったら一部の人に怒られるかな?)と密接にリンクしているであろう事は、僕があらためて強調する事でもないだろう。

 

というわけで、番組を見ていたら深夜1時を回り、関さんのVが終わったところで視聴を止め、今日の記事の執筆に取り掛かる。

 

現在、2時40分過ぎ。

またもや睡眠不足で始まった1日だったが、

今日は午前中の段階から、もはやそんな事は気にならなくなるほどの楽しい1日だった。

阪神も勝ったし^ ^

 

すっかり夜が更けてしまったが、明日も休みなので、ビールを飲みながら野球を見て、のんびり過ごそうと思う。

 

というわけで、3月26日(金)の日記でした。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。