「九十歳。何がめでたい」を鑑賞。
100点満点で、72点。
※今回はネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。
小説家・佐藤愛子が90歳の時に出版したエッセイ集「九十歳。何がめでたい」の、
出版当時のエピソードを描いた映画・・・であるが、
僕が見て思ったところでは、「実話ベースのフィクション」といった趣きの、
ハートフルコメディ作品である。
僕が劇場の座席に着席して、場内をざっと見渡したところ、
大体100席は埋まったであろうお客さんの8割くらいが、70歳以上と思われる方で、
そのうちの9割くらいがおばあちゃん。
そして50代後半から60代かな?という見た目の方がチラホラいるかな、という感じで、
ただ一人、場違いなメタルバンドTシャツを着た僕(笑)は、
あの劇場内において、間違いなく最年少であったと思う(47歳なんですけどね)。
僕にとって、そんなアウェイな雰囲気の中(いや、誰も俺の事なんか気にしてない)、
本編が始まったのだが、
まあこれが、思っていた以上には楽しめたというか、
これは嫌味でも皮肉でも何でもなく(もし、そういうニュアンスに捉えられてしまったなら、それはそれで申し訳ないが)、
おじいちゃんおばあちゃん達を笑わせ、そして泣かせるために、
高齢者の笑いのツボを計算し尽くした、
非常にソツのない、安定感しかない作品であったと思う。
実のところ、僕は日本のホームドラマ的な「ライトな笑い」や「ベタな笑い」は、嫌いではない。
おじいちゃんとおばあちゃん達に挟まれながら、
みんなが笑うところで同じように笑ってしまったし、
みんなが泣きそうになるところで、ちょっとホロリと来てしまったりと、
割と楽しい時間を過ごさせてもらったわけである。
と言いつつも、引っかかるところが無かったわけではなく、
ちょっと意地悪に揚げ足を取らせていただくと、
「九十歳。何がめでたい」という本が発売された時の、
世間のフィーバーぶりを捉えた演出は、
流石にあれは誇張しすぎというか、コメディテイストを効かせすぎかな、と。
「駅のホームにいるほぼ全員、同じ本をブックカバーも付けずに読んでる」なんて事は、ない。
あのあたりは、ちょっと冷めたかな。
それと最後の方で、木村多江が演じる編集者の妻が、
夫であり編集者である唐沢寿明に向かって、
「この本に救われた」みたいな事を言ったのだが、
あれを見て僕は、
「おや?なんか最初の方で、草笛光子の脳内だけで起こったようにされている人生相談の回答が、現実世界にあったことみたいになってないか?」
となってしまった。
これは未見の方にとっては、僕が何を言っているのかさっぱり分からないと思うが、
見た人なら、何となく僕の言いたい事が分かってくれるかと思う。
あれは、どういうことなのだろうか?
「木村多江は、『佐藤愛子のエッセイに書かれていたかもしれない夫婦に関する内容』の部分を読んだから気持ちが楽になった、というのは事実であるが、それはそれとして、
映画冒頭の草笛光子の、木村多江の人生相談に対する回答は、現実世界の木村多江とは全く関係が無い」
という解釈でいいのだろうか?
時系列的にも、あの脳内回答は、エッセイが書かれる前に起こっているので、
僕は一瞬、混乱したというか、
「なんか紛らわしくない?」と思ってしまった。
とまあ、ちょっと引っかかる部分がありつつも、
結局のところ、凄いと思うのは佐藤愛子さんであり、草笛光子さんの存在である。
90歳でも、あの感じでいれる可能性があると思うと、ちょっと元気が出てきた。
「俺がジジイになる頃には、『人生120年時代』とかになってるんじゃないか?」などと思うと、
まだまだ先は長い、まだ俺は色んな意味で遊ぶぞ、という気持ちにもなってしまった。
そのために、まずは今日の健康、そして明日の健康である。
「え?おじいちゃん、90歳?!
若すぎるでしょ。70歳そこそこくらいかと思いましたよ」なんて言われたいものだ(これで明日死んだら笑うしかない)。