シンゴさん日記

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「ハケンアニメ!」(核心部のネタバレはなし) 個人的に、これがテレビドラマシリーズなら、それなりに楽しんで見れるような気がする。

 

5月23日、なんばパークスシネマにて

ハケンアニメ!」を鑑賞。

 

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2022年の日本映画。

 

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県庁勤務の公務員から、アニメ業界に転職した斎藤瞳。

 

彼女の目標は、

アニメ界屈指の天才監督・王子千晴の作品を超える作品を作ること。

 

そんな瞳の監督デビュー作、

サウンドバック 奏(かなで)の石」の裏番組として放送されるアニメ作品は、

王子千晴監督8年ぶりの復帰作「運命戦線リデルライト」。

 

アニメ制作現場の新人監督として、

並々ならぬ情熱で挑む瞳の「サウンドバック」と、

天才であるが故のこだわりとワガママぶりで、

常に現場を翻弄させてきた千晴の「リデルライト」の対決。

 

アニメ界の「覇権」を握るのは、

サウンドバック」か「リデルライト」か?

 

果たしてその行方は・・・・という、あらすじ。

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鑑賞後、映画レビューのサイトを見て、

かなりのショックを受けた。

 

「何に?」というと、

世間一般の、概ねの高評価、絶賛ぶりに対して、

この作品が、自分の心に「全くと言っていいくらい、刺さらなかった」ことに。

 

とにかく、僕にとって何がキツかったのかというと、

「テレビドラマの延長」のような、

大袈裟な演技と演出である。

 

もちろん全ての日本映画作品に共通するものではないし、

同じようなことが、数々の海外作品にも言えるのかもしれないが、

多くの日本映画における、

リアリティから大きくかけ離れた

「セリフ回し」「現実的でない演出」「過剰に思える演技」は、

本当に、これは何とかならないのだろうか?

 

これが徹頭徹尾のコメディ作品であったり、

「テレビで放送されている(いた)ドラマの劇場版」であったりしたなら、

「笑えりゃ、なんでも許す」、

「まあ、ドラマの演技と演出なんて、こんなもんだわな」という感じで、

多くを求めず気楽に見ることができるし、

大袈裟な部分も、ある程度は許容できるのだが、

こと映画として独立した作品となると、

僕の場合、それが小説や漫画を原作にしているものであっても(漫画はまあいいか別に)、

登場人物たちの「わかりやす過ぎる感情表現」や、

「現実世界に実際に起こり得る状況との大きな乖離」を目の当たりにすると、

なんとも言えない「違和感」や「むずがゆさ」を覚えるのである。

 

例えば、劇中にある、

土砂降りの雨の中、瞳が路上でひざまずいて、

雨で濡れたタブレット端末の電源が入らないことに、

「お願い・・・!(電源)ついて!(泣)」

みたいなシーンを見てしまうと、

僕は「そんなやつ、現実におらんて」と、

瞬く間に興醒めするのである。

 

「(タブレットを)さっさと鞄に直すなりして、雨の当たらん場所に避難しいや」と、

僕はツッコむのである。

 

 

2つのアニメの最終回が放送される日に、

まるで「日本のほとんどの国民が、この2大アニメ作品に注目している」かのような描写も、

僕には「うーん・・・?」である。

 

僕は、この映画の中の日本は、

「アニメが国民の関心事の中心」になっている、

僕が住んでいる現実の日本とは違う、

パラレルワールドのお話として捉えることにしようと、

もう途中から、ある程度割り切って見ていたが、

 

電車の中で、スマホを取り出して、

アニメの最終回を見ているであろう人たちが、

ほぼ誰もイヤホンを着けていないことには、

ただただ驚いた。

 

電車内で、アニメをイヤホンを着けずに見ても誰も迷惑がらないとは、

凄いパラレルワールドだ(笑)。

 

他にも、終始に渡って繰り広げられる

「テレビドラマ的な演出」に対して、

ツッコんだ部分は多々あるが、

キリがないのでやめておく。

 

・・・と、今回は、ここまでかなりボロクソ気味に書いてしまったが、

もちろん良い部分はある。

 

作品作りにおける「理想と現実」、

「現場における、さまざまな立場の人間たちが織りなす、協力と食い違いのドラマ」は、

しっかりと描いており、

深みを感じさせない演出には終始辟易しながらも、

「こういう世界も、色々と大変だわな」と、

ある程度、共感できるものはあった。

 

登場人物として、僕が最も共感できたのは、

柄本佑演じる行城プロデューサー。

 

一見、冷徹非情で、ビジネスライクにしか創作物を扱っていない人間かと思いきや、

物語の最終盤において、

作品というものに対する、彼なりの哲学を述べる。

 

この行城の意見には大いに共感できるものがあった。

 

しかし、今回は、

僕の変人的かつ神経質的な側面と、

作品が放つ空気感、世界観が噛み合わなかったので、

残念ながら低評価にならざるを得ない。

 

僕の評価は、100点満点で49点。

 

この低評価は、

僕という人間と、この映画におけるミスマッチが生んだ結果であって、

この映画が「良かった」と評する、

世間の多くの方の感性を否定したりするものではない。

 

ある意味、自分の感覚のマイノリティさ加減を、この映画を通して再確認してしまい、

絶望している(苦笑)。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。