以前の記事で、世の中には食事を取らなくとも、何年も、何十年も生きている人たちがいる事をお伝えしました。
僕も去年の秋頃から、徐々に食事の回数や
量を減らし、さらにその内容も、
動物性のタンパク質や脂質の摂取中心から
植物性寄りにシフトしたりで、
現在は1日にほぼ1食という食生活をしておりますが、
「この先、自分も『食べなくても生きていける
体』になれるんじゃないか?」
という思いがしております。
今日は朝起きて、
温かいほうじ茶を少し飲んだ後、食事は取らずに出勤。
勤務先の事務所についたら、
仕事が始まる時間まで、
自分用に冷蔵庫に保管しているミックスナッツを10粒程度食べました。
その後、お昼ご飯は食べず、
3時の休憩時間にまたミックスナッツを
20粒ほど食べました。(ちゃんと数えてないので体感の数です)
それから夕方5時ごろに小腹が空いたのですが、
動物の肉は極力避けるように心がけては
いるものの、
久しぶりにファミリーマートのファミチキの味が恋しくなったので(笑)、
ひとつ買って食べることにしました。
やっぱりファミチキは美味しいです^ ^
あれは傑作ですね(笑)。
もう体が少食に慣れているので、
というか沢山食べれなくなってきているので、
帰りの電車の中で
「もう今日は家に帰ったら野菜ジュース1杯と味噌汁1杯くらいで十分かなあ」と思い、
実際、野菜ジュース1杯、味噌汁1杯、
そして家にも保管しているミックスナッツを
また何粒か食べて、
(「またナッツかよw」というツッコミが聞こえてきそうですが^ ^)
今日の食事は終了です。
今この記事を書いているのが、夜の11時ごろですが、
はっきり言って、お腹いっぱいでは無いです。
感覚的には腹4〜5分目くらいですね。
正直、食べようと思ったらまだ食べられますが、食べません。
なぜなら、昔のように腹一杯満足するまで食べたら、必ず体がだるくなり、精神も弛緩するからです。
そして、それが遅かれ早かれ健康を害する事もわかってしまっているので、これ以上は食べません。
この説明は
「(健康を害するのが怖いから)ガマンしている」と捉えられるかもしれませんが、
その感覚とは明らかに違います。
一か月半くらい、
このような生活を続けていると、
「この空腹感を味わうのが当たり前、かつ
平常運転」と脳が納得している感じですね。
もう若い頃と比べて、意識が変わってしまいましたね。
毎日、空腹感を感じている時間が、
以前の食生活の頃より圧倒的に多いのに、
今の方が精神的に安定している自分がいるのです。
この感覚を一度知ってしまうと、間違いなく
心ゆくまで好きなものを食べ続ける生活に戻る事はありませんし、
むしろ「さらにこれ(少食、微食)を突き詰めてやろうか」という気持ちの方が大きくなってきたのです。
というわけで、今現在の僕の目指す理想は
「1日1食から、いずれ不食標準の生活へ」です。
イメージとしては、
普段は食べなくても全然大丈夫だけど、
たまに未体験の料理を試したい気持ちが大きくなったりした時や、
友達、家族、知人たちと会食を楽しむ時、
あるいは過去に食べたものの味覚にたいして懐かしい感覚を覚えた時に限って、
栄養がどうのこうの、という事を抜きにした
純粋に美味しさを味わう楽しみとして食事を楽しむ・・・
「まあメシは数日間に1回くらいで十分だわ」というスタンスになれれば、と考えています。
数年前の自分が、まさかこのような指向性、
方向性を持つとは想像しませんでした。
人生、何に共感と好奇心を覚えるかわからないものです。
日本の不食実践の第一人者である
山田鷹夫さんも
「徐々に食事を減らす実験を繰り返していると、空腹のツラさはあるけど、そこに余裕が生まれてきて、空腹を楽しんでいる感覚が訪れる」というようなことを仰っています。
これを「不食ハイ」というらしいです^ ^
このようなことは
現代の科学、栄養学からするとまだまだ
到底、受け入れがたい概念、生活ではありますが、
人間はあらゆる「前例」を超えて、自分たちの歴史を創ってきました。
この僕の不食への道、チャレンジも
自分の人生観の幅を広げる楽しい旅、と捉えています。
知人や家族が、この事を知ったら
「そんな事したら栄養失調で死んでしまうよ!」と、猛反対してくるかもしれませんが、
無視です(笑)。
無理せず何年もかけて良い、という姿勢で取り組むつもりなので、
まあ大丈夫でしょう(笑)。
そして、何年もかけても結局、「不食の人」に
なれないとしても別に落ち込みません。
だって、なんだかんだで
食べるのは楽しいですしね^ ^
というわけで、今日も最後まで
読んでいただきありがとうございました。