シンゴさん日記

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

自分に不食は可能か?

今、この本を読んでいるのですが↓

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いやはや、今の僕からすると世の中にはなんともすごい人たちがいます。

僕も現在は1日1食にして、徐々に身体と

精神が、その量に慣れていっているので、

この傾向がさらに進めば、

何も食べずとも、あるいは数日に1食だけ食べるという、極限に食事量を減らした食事でも

元気に生きられるのかな?と

淡い期待を抱いているのです。

 

この本の中で一番、世間一般の多くの方が受け入れ難いのが(「この本の中で」というより、

のっけのタイトルからして受け入れ難いでしょうけど笑)、

弁護士の肩書きを持つ秋山佳胤(よしたね)さんや、

その秋山さんがこの本で紹介している、

オーストラリアを拠点に講演やワークショップなどの

活動している不食者ジャスムヒーンさんが

「栄養」として取り入れている

「プラーナ」の存在でしょう。

 

「プラーナ」とは、サンスクリット語

「呼吸」「息吹」を意味する言葉である

Wikipediaより)ということですが、

ざっくり言って、この場合は「この宇宙に蔓延しているエネルギー」と言って良いと思います。

 

要するに、物質的なものを口から取り込み栄養を得なくとも、植物が光合成するかのごとく「プラーナ」というエネルギーを体内に取り込む事によって生命を維持するわけです。

 

秋山さんやジャスムヒーンさんは、

「物理的な食事」は一切取らない!と決めているわけではなく、

純粋に食べ物の味覚を感じたくなった時や、

食事会など他者との交流がある場合は、抵抗なく「口から」食べるのも自分に許可している、というわけです。

 

なんとも信じ難い話ですよね。

ついていけますか?皆さん(笑)。

 

まだ僕はこの本を読了しておらず、

不食」というワードを造語として編み出したとされる山田鷹夫さんの章を現在読んでいるのですが、

不思議と「自分には関係ない、浮世離れした人たちのお話」と思えないんですね。

 

「あれ、もしかして俺も『不食の人になれるかも?」と思ってしまってるんです「笑)。

 

というのも、この本に登場する秋山さんも

山田さんも、基本的に実験というか、

自分の心に芽生えた好奇心のような感情が起点になって不食に移行し、

自らの経験から「不食は慣れてきたら誰でも可能だと思う」というスタンスなので

(もう一人、この本に登場する、

1日に青汁1杯だけ摂取して日々を過ごす

森美智代さんについては、

難病を患った故に断食療法という克服手段の選択をした、という経緯なので、秋山さん、山田さんとは少し「不食に至った過程」が異なる)、

元来、根が素直で時にダマされやすい僕(笑)なんかは、

「俺にもできるかも!」と思ってしまっているわけです。

 

とは言え、少し真面目な方向からこの話を

取り上げると、

「食えない(食べない)日々が続いても

生きられる身体」って、

すごく有利じゃないですか?と僕は思うんですね。

 

前回の記事でも書きましたが、

食べない分、お金が浮くので(それが目的になっては本末転倒かもしれませんね。まあ人それぞれかもしれませんが。)、

人によっては他者より多くの蓄財ができるかもしれないし、

この不安定感を増す世の中において、

災害や紛争などに起因する食糧危機が起こっても、他人より食べなくて大丈夫なのだから

圧倒的にそうしたリスクに強い状態にもなれるわけです。

 

なので、この不食という概念、というか実践を

「一部の突然変異的な特異体質の持ち主」とか

「風変わりな人たちの奇行」とかで

無視や一蹴するのは、少し思慮に欠ける対応かな?と考えてしまうんですね。

 

もしかしたら、人間はどんどん進化していって

食べなくても大丈夫な体になるかもしれない、

と僕個人は割と直感的に信じているので、

現在の1日1食を無理なく続けて、

いずれ、「不食でも元気」な状態に無理なく移行できれば・・・と画策しています。

 

人生は絶え間ない未知への冒険です。

他者の干渉に気を乱されることなく、

気負うことなく、己の道を歩みたいものですね。

 

今回も最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。