シンゴさん日記

100点満点採点で映画を評価した記事と、あと他愛もない雑談と。

「ベルファスト」(重要部の詳細なネタバレはなし) 映画自体の雰囲気は中々に良いと思うのだが、最初と最後以外、いかんせんパンチに欠ける。

 

9月5日、自宅で「ベルファスト」を鑑賞。

 

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2022年公開。

製作国はイギリス、アイルランド

 

この作品の監督・脚本・製作を務めるケネス・ブラナーの少年時代をモチーフにした自伝的作品。

 

(↓ケネス・ブラナー

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ケネス・ブラナーと言えば、

最近ではクリストファー・ノーラン監督の

「TENET テネット」において、

悪役の大富豪、セイターを演じていたが、

 

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(↑はっきり言って、この映画はようわからんかった)

 

個人的に、この方については、

1998年に日本でも公開された「ハムレット」の印象が強い。

 

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日本での公開当時、僕は21歳で、

この「ハムレット」を、

梅田の三番街シネマ(今はもうない)で見たのだが、

上映時間が4時間(!)もあるにも関わらず、

当時の自分的には、

「何一つ面白いと思わなかった」という事で(笑)、

かなり強く印象に残っている(今見たら、また違った印象を抱くかもしれないが、まあとにかく4時間は長かった)。

 

ちなみにこの時、僕の左隣に、

「おばあちゃん」と言える年齢の女性の方が座られていたのだが、

その方が上映開始後、たったの5分くらいで寝落ちしてしまい、

そのまま最後の30分くらいまで寝続けていたのは、

印象に残るどころか、ある意味、衝撃であった(笑)。

 

そのおばあちゃんは、結局最後までいたが、

映画の内容をわかっているわけがないし、

からしたら、一体何をしに来たのか、という感じだ(笑)。

 

とまあ、それはさておき、

この「ベルファスト」なのであるが・・・、

うーん、なんだろう?

 

良い映画っちゃあ、良い映画なのである。

 

1969年のアイルランドの街ベルファストに暮らすバディ少年と、

その家族との生活ぶり、

そして、当時この地域で勃発していた、

キリスト教プロテスタント派によるカトリック教徒の排斥運動などを描いていて、

オープニングの暴動シーンなどは結構な緊張感を放っているし、

のっけから、

「おっ!これはやはり、レビューサイトのそれなりの高評価どおりの面白映画か?」と、

その後の展開にかなり期待してしまったのだが、

そこからが僕には、いかんせん眠たかった。

 

暴動については、

最終盤の方で、もう一度クローズアップされるものの、

この作品においては、それがメインディッシュであるという位置付けではなく、

バディのクラスメートの女の子への片思いや、

家庭におけるお金の問題、

バディの父親が宗教対立について抱える問題、

バディが家族と一緒に映画を見に行った事、

バディと祖父母との会話、

暮らしにくくなってきたベルファストを離れて、家族揃って引っ越しをするかどうか・・・、

などといった様子が、

軽快で爽やかな音楽を挟み込むかたちで、

淡々と描かれていく。

 

こういった数十年前の古き良き(ある意味で「悪しき」とも言えるかもしれない)時代の、

社会風景を描いた映画は、

日本でいうところの

ALWAYS 三丁目の夕日」に通じるものがあるのかもしれない。

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当時のアイルランドを知る人が、

この「ベルファスト」を見ると、

恐らく「あ〜懐かしいなあ!」という感慨と共に、

きっとその国の人でしか味わえない感動があるのだろう。

 

だが今回、

この「ベルファスト」を見る僕は、

この時代のアイルランドの空気感を知らない日本人である。

 

今作を見ても、

懐かしさなどを感じることは不可能なので、

(かつて日本でも流行った「サンダーバード」の玩具が登場するが、日本人がアイルランドの家庭にあるサンダーバードグッズを見て懐かしむ、というのは、「懐かしむ」という言葉の使い方においては、ちょっと違うような気がする)

僕における頼みの綱は、今作が、

「ストーリー的に面白いか。

最後まで飽きさせずに見せてくれるか」

という、一点に集約されるのである。

 

しかし、この点が、

僕にとってはかなり弱かった。

 

なんだか、見ていても前のめりになれない、

全体的にパンチに欠ける作風であった。

 

今作で描かれている、

欧米の文化を感じさせるようないくつかのシーンも、

多くの日本人には、感覚的に伝わりづらいものがあるかもしれない。

 

例えば、

バディとバディの兄が、カトリック教会の神父の説教を聞きに行って、

神父がものすごい迫力でプロテスタントを否定する説教を披露し、

兄弟ともにビビりまくる、というシーンがある。

 

このシーンを見て僕は、

「ここって、もしかして欧米人が見たら、けっこう笑うところ?」

と思ったのだが(実際、欧米人が見てどう思うかはわからない。逆にプロテスタントの人もカトリックの人もちょっと怒るかもしれない。正直わからない)、

日本人で、かつキリスト教徒でもない僕には、

このシーンにおける「作り手が見る側に期待しているであろう反応」が、

間違いなくできていないと自覚している。

 

あとは、

バディのおじいちゃんが、おばあちゃんも交えて、

バディに恋愛の作法を伝えるシーンなども、

一般的な日本人の孫と祖父母の会話には絶対にないような、

向こうの文化ならではのユーモラスで洒落た感じの会話なのだが、

そういったものも、

「ある種の心温まるシーンである」と、

僕は頭では理解できるものの、

なんだか見ていて、いまいちピンとくるものがない・・・というか、

「この感覚は日本人にはないなあ。このべったり具合、これは欧米の夫婦やなあ」と、

このシーンも含めて、

全体的に「欧米というものを客観的に眺めている」ような感覚で見てしまい、

なんだか作品の中に入っていけなかった。

 

クライマックスでは再び暴動が起きるのだが、

結局、僕が身を乗り出す勢いで見たのは、

この2回の暴動シーンだけである(ちなみに、このシーンで、バディがスーパーにある商品の一つを盗むのだが、それを「なぜ盗んだの!?」と咎めた母親に対して、バディが放った言い訳がけっこう面白かったし、可愛いかった。あそこはイギリス人含めたヨーロッパ人などは、僕ら日本人より、もっと笑うシーンのような気がする・・・って知らんけど)。

 

批評家や、レビューサイトでも高めの評価がつけられている今作であるが、

途中で寝落ちしそうになるのを、

ストレッチなどをして、

必死で寝ないように頑張って見たほど、

残念ながら、僕には全体的に退屈であった。

 

なんだかケネス・ブラナー氏には申し訳ないが、

僕の評価は、100点満点で54点。

 

あと、ストーリー以外の演出について、

今作は、ほぼ全体通して映像が白黒なのだが、

これについても、

別に白黒である必然性を感じなかった。

 

「普通に、全編カラーでいいのに」と思いつつ見ていたが、

なぜか家族で見ている映画館のスクリーンや、

バディがおばあちゃんと見に行った演劇の舞台上だけは、

そこだけがカラーで表現されていたりして、

正直、その意図するものがわからなかった。

 

僕としては、久しぶりに肩透かしを食らった印象の作品であるが、

記事タイトルにもあるように、

「映画としての雰囲気」自体はよくて、

見る人によっては「切なくて、心温まる良作」なんだろうと思う。

 

けど、自分には合わなかったねえ・・・。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「ONE PIECE FILM RED」(核心部のネタバレなし) ついこないだワンピースを第1話から見始めたばかりの男が、劇場版作品を見に行ったら・・・。

 

9月2日、なんばパークスシネマにて、

ONE PIECE FILM RED」を鑑賞。

 

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2022年公開。

製作国は日本。

 

言わずと知れた超人気漫画(アニメ)、

ONE PIECE 」の劇場版作品である。

 

会社の後輩が、

「シンゴさん、『レッド』(この作品の略称)見てきましたわ。

めっちゃよかったですわ〜。

もう2回見ましたわ〜」

と絶賛していたので、

なんだか気になり、僕もとりあえず見てみようかと思い、見に行ってみた次第。

 

しかし、後輩君と僕には、

決定的な違いがある。

 

それは、彼が「ONE PIECE」を、

現在連載中の最新話まで読んでいるほどのワンピースファンであるのに対し、

僕の方は、

自身が1ヶ月ほど前に罹った新型コロナウイルス感染症の自宅療養期間中に、

体調が回復してから、あまりに暇すぎたので、45歳にして、

ようやくアニメの第1話から見始めたレベルの、

「ワンピースビギナー」である事だ。

 

今のところ、

「サンジ」という、料理が得意なキャラクターが初登場したあたりまで進んでいるが、

コロナの療養が明けてからは、

アニメの方もとんと見ていない(つまらない、というわけではない。すきま時間に一気に連続して見続けたせいで、ちょっと疲れた)。

 

そんな僕が、この「ONE PIECE FILM RED」を見に行ったわけなのだが、

やはり初期のあたりまでしか内容を知らないせいか、

色んなキャラクターに対して「誰だ?コイツは」の連続なのである。

 

もうルフィの仲間からして、

数名の名前がわからない。

 

「うん?なんかKISSのジーン・シモンズみたいなのがおるぞ。

誰やこれ?(見ているうちに、その鼻の長さから、ウソップという事に気づく)」

 

「チャッピーは名前だけは知ってるな。

けど、髪の黒い女性は誰?

サメみたいな彼は誰?

ガイコツの彼は?機械の体の彼は?」

 

「この人は、勝新太郎?そして、田中邦衛?」

 

「このチャラい兄ちゃん、誰かと思ったらサンジかよ。だいぶチャラくなってるな」

 

「『よんこう』って何?『てんりゅうびと』って何?」

 

・・・などなど、要所要所において、

ビギナーならではの戸惑いに翻弄されたが、

僕の独断に基づく結論を言わせてもらうと、

この劇場版でも最初のナレーションで、

ONE PIECE」の世界観をサクッと説明してくれているので(とても短くではあるが)、

極端な話、別に原作を読んで(見て)いなくても、大体どういう話かは分かると思う。

 

というわけで、

ワンピース初心者ではあるが、

今作に対する、僕の率直な感想を箇条書きで書かせてもらうと、

 

・「新時代」という曲から始まるオープニングは、すごくカッコいい。

 

・ストーリーについては、レビューサイトなどで酷評している意見もあるが、

僕としては「そこまでボロクソに悪く言うほどではない」と思ったし、

ちょっと、うるっときてしまう場面もあったので、基本的にこれはこれで良いと思うが、気になる部分もあるので、これは後述する。

 

・オープニングの「新時代」は良かったし、

他の曲もAdoの圧倒的な歌唱力が発揮されていて感心はするものの、

数曲目からは「うーん、もう歌の方は流さなくていいけどな・・・」という感情が湧き上がる。

ただ、この点については、

大体どの曲もワンコーラスくらいで収まったので、僕としては、まあ許容範囲ではある。

 

・歌を担当しているAdoさんには失礼な話だが、

ウタが歌うたびに「これ、『うっせぇわ』の人なんだよなあ」という、

現実的な情報が頭にチラついてしまい、

映画の世界から一歩引いた位置で見ている(聴いている)自分がいた。

先ほど「圧倒的な歌唱力に感心する」と表現したが、

「感動する」と表現できなかったのは、

その名前が現実世界で浸透しすぎた人(Ado)が、

アニメという非現実の世界のキャラクターの歌声を担当してしまったからなのかもしれない。

こんな事を言っても仕方がないと思うが、

ウタの曲を歌う歌い手は、まだその名前を世に知られていない無名の歌い手であったならば(もちろん圧倒的な歌唱力が必要)、

「この声は誰だ!?」となって、世間的にも話題になり、僕も興奮したかもしれない。

 

・アニメーションは、作り込みが細かく、美しいが、最後のバトルシーンに関しては、

情報量があまりに多すぎて、45歳のおっさんにはツラい。

目がチカチカして、ちょっとしんどかったし、

バトルの内容自体も、

ちょっとワチャワチャ、ゴチャゴチャしすぎな感じもする。

今の若い人たちは、これくらいの感じの方が迫力があっていいのだろうか?

あと、勉強不足を露呈してしまうようで、少し恥ずかしいのだが、

ルフィがすごく強そうなキャラクターに変身したのは、

何だか都合が良すぎるような気がする。

あの変身は何?

 

・・・と、見終わっての感想は、大体こんな感じである。

 

「みんながいつまでも平和で、楽しい事しかしなくていい世界をつくる」という、

ウタのカルト宗教じみた野望を軸に展開される、重めのストーリーは、

もしかすると、小さい子供たちには、とっつきにくいかもしれないし、

本質的な部分が理解できていないかもしれないが、

大人の僕としては、

「あまりにも影響力を持ったカリスマが抱えてしまった苦悩、葛藤、狂気」

というものを、

わかりやすく表現できているように感じられて、

その点は見応えがあった。

 

ただ一点、あえてツッコませてもらうとすれば、

ウタの思想がおかしくなって、

世界がおかしくなる根本の原因って、

そもそもシャンクスが昔取った行動にあるんじゃないだろうか?

(ここはネタバレ回避のため、詳しい内容は伏せておきます)。

 

僕の目にはどう見ても、シャンクスのカッコつけた行動が、

今回、裏目に出たとしか思えないのだが・・・。

 

そんな多少のモヤモヤと、

箇条書き部分の不満部分もあって、

僕の評価は、100点満点で60点。

 

今回、あまりにも色んなキャラがわからなかったので、

引き続き原作を読むなり、

アニメを見るなりして勉強していこうと思う。

 

それにしても、

田中邦衛の顔が、あまりにも似すぎてたなあ(笑)。

そこは、めちゃくちゃ印象に残ってる。

あの人、原作ではどこら辺で出てくるんやろ?

 

という事で、

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「さがす」(重要部、核心部のネタバレはなし) 大阪府警ならびに西成警察署は怠慢で無能であることを暗にほのめかす、グロサスペンス。

 

8月30日、自宅で「さがす」を鑑賞。

 

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2022年公開。

製作国は日本。

 

大阪市西成区で暮らす親子と、

連続殺人犯の数奇な関係を描いた作品。

 

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かつて大阪の西成区で卓球場を経営していたが、

現在は日雇い労働者として働く男、

原田智(はらださとし)は、

女子中学生の娘、楓(かえで)と2人暮らし。

 

ある日、智は楓に、

「連続殺人犯として全国指名手配中の男を目撃した」と、打ち明ける。

 

「この男を捕まえれば、懸賞金として300万円が手に入る」と言って、

智は、その翌日、楓をひとり家に残し、

突如失踪する。

 

楓は、担任の教師や、同級生の男子生徒に協力してもらい、

ビラを配るなどして、

行方のわからなくなった智を探し始めるが、

一向に見つからない。

 

そして楓は、日雇い労働の派遣先に行けば、

智と会えるのでは?と思い、

彼が働いていると思われる現場に向かったのだが、

そこにいた「原田智」は、

彼女の父親とは似ても似つかぬ、

異質な空気感を醸し出す若い男であった・・・

という、あらすじ。

 

--------ーー

 

強烈な作品である。

 

この作品は、PG12指定という事であるが、

僕の感覚からすると、

「R18指定の方がしっくりくる」

と言えるほどの強烈な描写を備えた作品だと言える。

 

前半における展開を見ている限りは、

「これとこれが、どう関係あるのだろう?」

という感じで、

なかなか物語の全体像が掴めないのだが、

後半からは、その伏線が次々と回収されていき、

最終盤における「そう来たか・・・」という流れに、思わず息を呑む。

 

今作に登場する連続殺人犯については、

かつて、この国を震撼させた2つの事件、

神奈川県の座間市で発生した、

自殺願望のある者を自宅に誘い出し、計9人を殺した連続殺人事件と、

同じく神奈川県の相模原市で発生した、

障害者施設殺傷事件の犯人像が、

間違いなくモデルになっていると思われる。

 

この殺人犯を演じる俳優、

清水尋也(しみずひろや)だが、

まさに「狂気が宿った」といえる怪演を披露していて、

強烈な存在感を放っている。

 

(清水 尋也↓)

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そして、

その彼と渡り合う、

西成で長年暮らす男、原田智を演じる佐藤二朗と、

佐藤二朗↓)

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原田の娘、楓を演じる伊東蒼の存在感が、

これまたすごい。

 

(伊東蒼↓)

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今作のレビューについては、

ネタバレになる事をあまり言いたくないので、詳しくは述べないが、

智(佐藤二朗)に関しては、

妻に対する演技もすごいし(ちなみに妻役の人の演技もすごい)、

楓(伊東蒼)にいたっては、

全編通しての、その類まれなる演技力に、

個人的に圧倒された。

 

この子は天才だ。

 

いずれ、

日本の映画界を代表する女優になるであろう、

逸材中の逸材であると思う。

 

というわけで今作は、

この三人の個性のぶつかり合いと、

強烈なストーリーが、

相当なインパクトを放っており、

僕としても見応えがあった力作なのだが、

なにせ題材が題材である。

 

かなり凄惨であり、

一般的な感覚を持った人からすると、

眉をひそめざるを得ないような描写が頻出するので、

僕はこの作品を、万人には決しておススメできない。

 

 

正直なところ、途中で、

「うん?なんかこれって、普通にバレるんじゃない?」

というツッコミどころがあり、

そのあたりが、見終わった後も、

少し僕の心をモヤモヤさせるものがあるのだが、

それでも後半の伏線回収と、

俳優の演技が秀逸で、

とりあえず最後まで飽きる事はなかった。

 

ちなみに、そのツッコミどころだが、

今回は、やはりネタバレになる事は極力言いたくないので、

そのシーンを見た僕の感想だけになってしまい、

作品未見の人にはわかりづらいのだが、

でもあえて言わせてもらうとすると、

それは、

「ちょっと大阪の警察、無能すぎひん?」という事である。

 

特に、智の妻に対する、

「ある大きな行動」については、

どう考えても、智が警察にマークされる案件である。

 

「なんで、あの奥さんがこんな事をできたのか」

と冷静に考えれば、

真っ先に怪しまれるのは、夫である智だろう。

 

クライマックスで、

智が取った一連の行動に対する供述についても、

それまでの智のアリバイや、

スマホに残っているであろうデータを洗っていくと、

すぐにボロが出そうなのであるが、

ここでも警察の無能ぶりと、怠慢ぶりが発揮されるかたちとなって、

真相が表に出ることはなくなる。

 

ちょっとこのあたりは、シナリオに強引さを感じてしまったので、

僕としてはマイナスである。

 

あと、これはツッコミどころとしては、

ちょっとしたものだが、楓が同級生の男子生徒に、

「おっぱい見せてくれへんか?」と言われて、

渋々、胸を見せてあげるというシーンがある。

 

このシーンで、男子生徒が鼻血を出す、

という演出があるのだが、

あれは個人的にダメだと思った。

 

「いやいや、この時代に、そんな昭和のギャグ漫画みたいな・・・」となったので、

ここも少しマイナスである。

 

殺人犯の自慰行為のシーンも、

個人的には、要らなかったと思う。

 

あれは、彼が異常な人間である事を、

よりわかりやすく見せるためのものであったと思うが、

別になくても、「十分、異常なヤツ」と、

こちらは認識しているので、

あえて入れ込む必要は無かったと思う。

 

今作に対する僕の評価は、

100点満点で、70点。

 

ひとまず、グロ描写耐性のない人には、

この作品はおススメできないし、

見る人によっては、

「不快な映画」と、一蹴される可能性の高い作品であるかもしれない。

 

何かの間違いで、

一家団欒で見ようものなら、

お茶の間に戦慄が走ること間違いなしである。

 

皆さんには、くれぐれも気をつけていただきたい。

 

というわけで、

ここからは映画のストーリーとは直接関係ない、個人的な余談に移らせてもらうが、

今作に登場する大阪市西成区の町並みは、

僕にとっても、かなり馴染みのある風景である。

 

この地域や、この地域の近くに住んでいたわけではないが、

かつて職場に通うのに、

自転車で毎日、この界隈を通過していたので、

大阪ロケのシーンを見るたび、

「ああ、ここって、あそこやな」などと、

ちょっとした感慨に浸る瞬間があった。

 

この西成区界隈、

特に「あいりん地区」や「釜ヶ崎」と呼ばれる、

多くの日雇い労働者や、ホームレスが集まる町での僕の思い出と言えば、

27歳の頃、いつものように仕事を終え、

自転車を漕いで、

この地域にある「あいりん労働福祉センター」の前を通った時に、

このセンターの前にたむろしていた一人のオッサンが飼っていた犬に、

突如、追いかけられた事である(笑)。

 

(↓あいりん労働福祉センター。僕が犬に追いかけられたのは、写真の右半分あたりにある道路を走っていた時である)

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僕は、犬に追いかけられる前に、

オッサンや犬に対して、何の挑発的な行動もとっておらず、

普通に自転車を漕いでいただけなのに、

何かしらのスイッチがオンになった犬(中型の雑種っぽかった)が、

「ガウガウッ!!!」と、

僕の右手側から、獣そのもの、といった吠え声を上げながら、

「追いついたら、必ずコイツを噛み殺す!!」

という勢いで飛び出してきたのである。

 

「あ、これはやばい・・・」

 

犬と言っても、ただの犬ではない。

西成のあいりん地区の犬である。

 

「これに噛まれたら狂犬病にかかるかもしれん!」と、何の根拠も無かったが、

そう直感的に思ってしまった僕は、

猛烈にペダルを漕いで、追いかけてくる犬から必死に逃げた。

 

27歳という年齢にして、

小学生か中学生時代以来の立ち漕ぎで(笑)、

最終コーナーを回った競輪選手さながらの、

命懸けのランであった。

 

今でも、犬が飛び出した時の、

犬の飼い主と思われるオッサンの、

「こらあ!!!行ったらあかんど!!!」

という、

おそらく犬に対してであろう怒号が、

この耳に残っている。

 

無事に犬を振り切って、

南海電車天下茶屋駅の手前あたりを、

ダラダラと汗をかきつつ、

その安堵感からか、ヘラヘラと笑いながら自転車を漕いでいる僕の顔を見て、

道行く人は「何この人、怖いんやけど・・・」と、

僕のことを警戒したことだろう(笑)。

 

僕にとって、西成(あいりん地区)と言えば、この「犬に追いかけられました事件」である。

 

他にも、このあたりの路上では、

見た目60歳超えくらいの、

飲み屋かスナックのママらしき雰囲気のオバちゃんの両サイドに、

2人のオッサン(両方とも年齢は60か70くらい)が立って、

そのオッサン達が、

オバちゃんの右乳と左乳を、

分け合って揉みながら信号を渡っている、

という凄まじい光景を目撃した事がある(笑)。

 

今、話題の香川照之氏も、これには真っ青だろう。

 

ちなみに、

乳を揉まれているオバちゃんの表情を見ると、

明らかに感じていた、

という事もここに報告しておく。

 

そして、ある真冬の夜には、

上着にはMAー1を着て防寒対策に努めながら、

 

(↓MAー1。定番のブルゾンである)

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なぜか下は、

ボディビルダーが履くようなブーメランパンツ一丁で(笑)、

髪型は「ヤクザ映画に出ていた頃の菅原文太か、薔薇族の表紙か」と言わんばかりの、

「かっちりした角刈り」という、

色んなものを超越したファッションで街を闊歩する青年を目撃したりした。

 

(角刈り参考画像その1↓)

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(角刈り参考画像その2↓)

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最近は、

近くに星野リゾートができたりして、

今後、色々と洗練されていくであろう西成のあいりん地区だが、

それによって、

この町の持つ「得体の知れない何か」

を引き寄せる吸引力が弱まっていくのは、

僕としては少し寂しい気もする。

 

・・・という事で、最後は、

どうでもいい余談に花が咲いてしまいましたが、

今回も最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。

「サバカン SABAKAN」(核心部のネタバレはなし) 友達という存在は、人生において、本当に本当に大事なものです。

 

8月28日、TOHOシネマズなんばにて、

サバカン SABAKAN」を鑑賞。

 

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2022年公開。

製作国は日本。

 

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舞台は1986年の長崎県

 

担任教師も絶賛するほど、

文章を書くことが得意で、

クラスでの人気も高い久田(ひさだ)と、

1年中ランニングシャツで過ごすほど家が貧しく、

おまけにその性格の無愛想さもあって、

同級生たちからバカにされている竹本。

 

夏休みになったある日、

竹本は突然、久田の家を訪ねてきて、

地元の海にある「ブーメラン島」の近くに、

イルカが現れたので見に行こうと、

久田を誘う。

 

それまで、竹本とは友達と言える間柄ではなかった久田は、

竹本の突然の誘いに困惑するが、

竹本は「久田が道端に落ちていた100円玉を拾ったのに、警察に届けず、自分のものにした事」を目撃していた。

 

「ブーメラン島に一緒に行かないなら、

その事をまわりに言いふらす」

という竹本の「脅迫」に折れた久田は、

渋々、ブーメラン島に行く事を決意する・・・という、あらすじ。

 

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1986年といえば、

僕は9歳で小学3年生だったので、

主人公とほぼ同じ世代である。

 

主人公の久田と、久田の父親は、

アイドル時代の斉藤由貴の大ファン、

という設定だが、

もちろん僕もその頃の斉藤由貴を知っているし、

少年時代の久田と同じように、

キン肉マン消しゴム・・・いわゆる「キン消し」集めに没頭したものだ。

 

僕は大阪育ちなので、

舞台となる長崎県の海辺の町とは、

また違った文化的背景を経て成長したが、

当時の空気感や、日常使っている家庭用品といったものは、

大阪も長崎もどれも似通ったものがあり、

今作を見ていると、

自分の少年時代がフラッシュバックされて、

なんとも懐かしい気持ちになった。

 

物語は、

大人になり、小説家としての肩書きを持った久田が、

ゴーストライターという、

本人としては不本意な仕事を日々こなしながら、

新作小説を書く事に着手する、というオープニングで始まる。

 

物語の書き出しから詰まり、

なかなか筆が進まない久田であったが、

部屋にあった「サバの缶詰」に目が留まった瞬間、

かつて長崎時代に付き合いのあった、

竹本少年の事を思い出し、久田の回想が展開される。

 

劇中、僕が小学生時代に体験した色々な事を、思い出させてくれるような事が、

この作品でも描かれていて、

とても懐かしい気分にさせてくれたのだが、

この頃をリアルタイムで通過した世代としては、

もう少し、ノスタルジーに浸れるような要素を追加して欲しかった、

という欲求が湧き起こったのも正直なところ。

 

斉藤由貴キン消しだけでも、

十分と言えば十分なのだが、

その他に、ビックリマンシールや、ドリフターズひょうきん族などのお笑い番組

当時のアニメキャラ、プロレスやプロ野球

ファミコンミニ四駆、少年ジャンプやコロコロコミックなど、

当時の少年達を夢中にさせた文化の振り返りなどが、

全部とは言わないが、あといくつかでもあれば、

1977年生まれで、

現在45歳の僕としては、

もっと楽しめるものであったと思う(これは僕のただのワガママなので、これらの要素がなくても、特に映画のマイナス評価には繋がらない)。

 

それにしても、この作品を見ていると、

「子供時代の思い出」というものは、

一生レベルで自分の心に影響を残すものだ、

という事実を、

あらためて思い知らされる。

 

大人になると、ほんの1年前にあった事や、

誰かとの会話の内容をすっかり忘れていたりするものなのに、

子供時代にあった事は、インパクトのある出来事はもちろんのこと、

「何気ない事」まで割と詳細に覚えていて、

ふと思い出しては、

ただただ懐かしい気分になったり、

他人に対して自分が放った言動について、

後悔の念に苛まれたりするものだ。

 

そして、おそらく誰にとっても、

少年少女の時代を振り返ると、

「大人になった今も、なんだか思い出すあの子」がいるだろう。

 

その関係が現時点の段階で、

良い思い出として生き続けているか、

あまり思い出したくないものとして、

心にこびりついているかはさておき、

そのような「いつまでも心に残る、あの人」はいるだろうと思う。

 

「離れ小島のイルカに会いに行く」という、

小学5年生にとっての大冒険は、

その目的が達成できたのかどうか、

その行動に意味はあるのか、

という問いかけが、あまり意味を成さない。

 

彼らは「イルカを見に行く」という純粋な衝動に駆られ、家を飛び出し、

その過程において、

彼らも意図していなかった、

一生ものの思い出と、絆を手に入れるのである。

 

この彼らの「計算や打算のなさ」の中にこそ、

僕たち大人が忘れた、

人生の本来の醍醐味や意義というものがあるのではないだろうか。

 

紆余曲折の旅を終え、

ひとまず、その日の別れを告げ合う2人の少年の、

「またね!」「うん、またね!」という、

繰り返しのやり取りに、

なぜだか涙が溢れてくる。

 

ネタバレになるので、

詳しくは書かないが、物語はこの後、

大きな局面を迎える。

 

ここからは、涙なくしては見れない。

 

人生とは、理不尽さと、それに伴う試練の連続であるが、

それでも人生は続く。

 

クライマックスの駅のホームでのシーンは、

人生で大きな悲しみに見舞われた時、

友人の存在は、あまりにも重要である、

という事を思い知らされる。

 

このシーンは、うがった見方をすれば、

「ベタな見せ方のシーン」かもしれないが、

やはりここは号泣してしまった。

 

この作品に対する、

僕の評価は100点満点で、92点。

 

尾野真千子竹原ピストルの、

お母ちゃん、親父ぶりがとても良かったし(この2人のやり取りがけっこう笑える)、

久田、竹本を演じる子役たちも良かった(特に久田を演じる子は、これが映画デビューらしいが、素晴らしい演技を見せてくれる)。

 

ただ、不満点というわけではないが、

エンドクレジット後の、

久田と竹本の釣りのシーンは余計だったかな?

無くてもよかったかな、と少し思う。

 

あと、大人になった久田を演じる草彅剛と、

長崎時代の久田少年の顔が似てなさすぎて、

これには「うーん」となった(まあ、この辺りは、ある程度仕方がない事かもしれない)。

 

・・・と、ちょっとした引っかかりがありつつも、

全体的には素晴らしく、

久しぶりに「良い映画」を見た気分である。

 

宣伝が大々的にされている感じではないので、

一部の映画ファン以外には注目されていないかもしれないが、

とても爽やかな気分にさせてくれる作品だ。

 

出来るだけ多くの人に見てもらいたい。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ」(ネタバレあり) あのロボットを葬り去っただけでも点数爆上がりです。

 

今回の記事はネタバレを含みます。

作品未見の方はご注意下さい。

 

8月24日、なんばパークスシネマにて、

「ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ」を鑑賞。

 

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1985年作品「ロッキー4/炎の友情」を、

監督・脚本・主演を務めたS・スタローン自らが、再編集した今作。

 

ストーリーの大筋の流れ自体は、

オリジナルと変わらないのだが、

今回、42分間の未公開シーンを、

元の作品にあった数々のシーンと差し替えるという、

かなり大胆な編集がなされている。

 

1985年版「ロッキー4」に対する僕の感想は、

8月21日のレビューで書いた通りである。

 

(「ロッキー4/炎の友情」のレビューはこちら↓)

https://shingosan.hateblo.jp/entry/2022/08/21/224053

 

ロッキーとドラゴの死闘に関しては、

見応えがあるものの、

家事ロボットの存在や、

音楽プロモーションのための映画か?と思わせるほどの挿入歌の連続ぶっこみ、

アメリカこそ正義」と言わんばかりの、

ロッキーの、ソ連の観衆に向けたお説教・・・などなど、

「なんだかなあ」な演出が満載の、

残念な要素も多い作品であった。

 

この残念な部分については、

実際のところ、スタローン自身が、

後になって後悔していたらしく、

この再編集版を製作するにあたって、

インタビューで以下のように語っている。

 

ドラマの中身に重点を置きたかったんだ。

登場人物の心に注目して、より感情的に、より責任感を持って。

何故このシーンを使っていない?

当時の俺は何を考えていたんだ? って凹むこともあった。

今考えると使うべきシーンは明確だから。

当時の自分の人生観に疑問をもったよ(笑)」

 

との事である。

 

そして、

スタローン自身が何度も何度も作品を見直し、

「本来あるべき姿」として、

2020年代に再び発表された「ロッキー4」に対する僕の感想は・・・・・、

 

 

最高である。

 

 

素晴らしい、の一言。

 

もちろん、先日のレビュー記事で書いた、

「普通に考えて、ロッキーがドラゴに勝てるわけがない」という、

個人的なツッコミに関しては、

今回の再編集版を見ても変わらずなのだが、

オリジナル版に対して思っていた、

「絶対コイツ要らないだろ」という要素を取り除くだけで、

こんなにも物語が引き締まるのか、

と驚嘆した次第である。

 

その「絶対要らないコイツ」とは、

もちろん、あの「家事ロボット」である(笑)。

 

今回の編集版に、ヤツは一切出てこない。

 

まさに、あのロボットの存在は、

スタローン曰く「当時の俺は何を考えていたんだ?」を表す、

黒歴史」の象徴だろう。

 

このロボットを抹殺しただけでも、

先日のレビューから、得点が20点爆上がりである。

 

オリジナル版のオープニングにおける、

星条旗がデザインされたグローブと、

ソ連国旗がデザインされたグローブが、

「バチーンッ!」と激突して爆発するという、

チープさ極まりない演出を無くしたのも、

大正解である。

あれも本当に要らなかった。

 

アポロの葬儀シーンは、

オリジナル版では、ロッキーのみが淡々とした口調で弔辞を述べており、

そのあまりの冷静な語りに、

僕は心を動かされる事が全くなかったのだが、

編集版では、それがとてもドラマチックに生まれ変わっている。

 

長年アポロのトレーナーを務めたデュークの、

アポロへの想いが詰まった弔辞に続いて(もうここで僕は泣きそうになる)、

ロッキーが嗚咽しながら、

アポロに感謝の言葉を述べるのである。

 

これには泣いた。

 

「当時から、なんでこっちを使わなかった?

こっちの方がめちゃくちゃ良いシーンやないか」

と、このシーンに、

僕は涙を流しながらツッコミを入れさせてもらった。

 

ロッキーがロシアに出発する直前に、

息子に語りかけるシーンも変更されている。

 

ロッキーは息子に、

「人生、誰が何と言おうと、自分が正しいと思ったら、やらなきゃいけない時がある」

的なことを語るのだが、

ここもオリジナル版より、

そのメッセージの熱さという意味において、

再編集版の方が断然良い。

 

「試合が怖いと思うこともあるけど、少しも怖いと感じない時もあるんだ」

といった、

聞いてる側からしたら「へえ、そうなんですね」としか言いようがない、

オリジナル版の響かないメッセージに比べて、

再編集版における、

ロッキーが息子に語りかけるメッセージの内容には、

危険な試合に挑むロッキーの決意と、

一人の男、そして子を持つ父親としての生き様が投影されていて、

三者として見ているこちらも、熱くなるものがあった。

 

その後、ロシアに移り、

基本ラインはオリジナル版とほぼ同様の、

長めに尺を取ったBGM付きのトレーニングシーンとなるのだが、

個人的には、

オリジナル版を見ていた時と比べて、

その「ミュージックPV的にも見える演出」に対しても、

個人的にはもはや、

あまり嫌悪感を抱かなくなっていた。

 

これは、やはりロボットの消失と、

その他のシーンの数々の改善によって、

作品に対する好感度が、

このトレーニングシーンに至るまでに爆上がりしてしまったからだと思われる。

 

最後の方も色々と変更されているが、

ロッキーが、

オリジナル版にはない、

共に死闘を繰り広げたドラゴの労をねぎらうシーンが追加されていて、

これも個人的に良かった。

 

オリジナル版では、

ソ連の観衆が、もはや完全にロッキーの虜になっているかのようで、

これが僕の目には、あまりにも「いびつな」光景に思えたのだが、

このロッキーのねぎらいシーンの追加などによって

この時の観衆の拍手と歓声は、

最終的に「ロッキーとドラゴの両者を讃える拍手と歓声」

とも捉えられる印象を、

幾分か生み出せたのではないかと、

僕は解釈した。

 

再編集版でも、試合の終盤で、

観衆が一斉に「ロッキーコール」をしだすのは変わらずであるが、

僕としては、

「ロッキーコールと、ドラゴコールが交錯する形」になった方が、

リアルに近いように思えるし、

その方が、

「国家の威信云々など関係無くなった、男と男のぶつかり合いに興奮、感動する観衆の姿」

というものを、より表現できるんじゃないか?

などと思ったりしたのだが、

編集マジックにも限界があるだろうし、

そもそもスタローンに、

そういうシーンを作ろうという気持ちが元々なかったかもしれないので、

まあ、ここでこんな事を言っても仕方がない。

 

僕のこの再編集版「ロッキー4」に対する評価は、

100点満点で、88点。

 

今回挙げた点以外にも、編集による変更点は他にも色々ある。

 

オリジナル版と違って、

心の込もった会話劇が強調され、

作品はソリッドに生まれ変わった。

 

今までロッキーシリーズを見たことがない人が、

いきなりこの作品から見ても、

この再編集版は十分に楽しめると思う。

 

現時点では、配信の予定は無しで、

映画館のみでの公開という事だが、

おそらく、いずれ配信はされるだろうと思う。

 

そうでないと勿体ない。

 

僕としては、この再編集版こそがロッキーの第4作目としてふさわしいと思うし、

この熱い男たちの物語を、

なるべく映画館で公開しているうちに体感してほしい。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「野球部に花束を」(重要なネタバレはなし) 現役、もしくは元野球部の人間なら、ある程度は「あるある」と楽しめるかも知れないが・・・。

 

8月23日、TOHOシネマズなんばにて、

「野球部に花束を」を鑑賞。

 

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2022年公開。

製作国は日本。

 

中学まで野球をしていた黒田鉄平が、

高校に進学して髪を染め、

野球とはきっぱり縁を切る覚悟で高校デビューを果たしたものの、

上級生の勧誘に乗せられ、結局、

野球部に所属することに・・・という、あらすじ。

 

----------

 

Yahoo!映画のレビューが平均4.0点と割と良かったし、

 

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自分自身も阪神ファンで、野球好きという事もあって、

密かに期待して鑑賞に臨んだが、

残念ながら、これはハズレであった。

 

とにかく、何もかもが中途半端である。

 

ジャンル的にはコメディと言える部類に入るのだろうが、

特に大笑いしてしまう場面もなく、

かと言って、野球部を舞台にした青春モノとしても中途半端。

 

野球を題材にした作品には、

大会の参加や、部員の恋愛、部員同士の人間関係など、

ストーリーを盛り上げるための「おいしい要素」が数多く用意されているはずなのに、

今作は、それらをしっかり活かせているとは到底思えず、

最後の最後まで盛り上がりに欠ける。

 

基本的には「野球部あるある」に終始した小ネタの羅列で、

この「あるあるネタ」を、

映画の登場人物とは何の関係もない、

プロ野球選手の里崎智也氏が唐突に出てきて解説するのだが、

これが、ものによってはせいぜいクスッと笑う程度で、

ワードチョイスもイマイチなせいか、

個人的にあまり面白くない(里崎氏に罪はない)。

 

この部分については、

現役の野球部メンバーや、

元野球部の人間なら「確かにあるある」と、

僕のように野球部に所属した事がない人間よりも楽しめるのかも知れないが、

実際のところ、どうなんだろう?

 

笑いを取るネタの一つとして登場する小沢仁志の使い方も、

最初こそインパクトがあるものの、

途中からは「もういいよ」と思えてくるほど、

彼のキャラクターに「頼りすぎ」な面があり、

「頑張って笑いを取りにいこうとしてる感」が

滲み出てしまい、

見ているこちらが、少し恥ずかしくなってしまった。

 

鬼監督を務める高嶋政宏は中々の熱演で、

頑張っている方だとは思うが、

僕としては、

もっと、その狂いっぷりが振り切った

「無茶苦茶すぎて、その一挙手一投足に、

思わず笑わずにはいられない、無茶苦茶な監督」

というものを見たかった。

 

主人公の黒田が、

女子生徒に片思いしてしまうパートも、

特に面白く昇華させる事ができず、

非常に中途半端に終わる。

 

そして、これが見ていて、

すごく気になったのだが、野球部員を演じている俳優陣に、

おっさんが多すぎである(笑)。

 

実際、

おっさんのような風格を備えた高校生というのは稀にいるし、

今作では、上級生が醸し出す威圧感を演出するために、

おっさんと言える年齢域に到達している俳優を、

それなりの人数、起用したのだろうと思われるが、

数名がどう見ても「あまりにもおっさん過ぎ」て、

「この人が高校生を演じるのは、正直無理ありすぎやろ」と、

笑いにならないツッコミがこぼれてしまった。

 

盛り上がりに欠けるストーリーに加え、

いまいち見ている者のハートを掴んでくれない「野球部あるある」で、

割と序盤の方から、

「あ、これ多分アカンな」と嫌な予感がしていたが、

中盤以降も、その予感が裏切られることはなかった。

 

僕の評価は100点満点で、40点。

 

高嶋政宏の鬼監督以外に、

奇天烈で個性が強すぎるキャラが2、3人いれば、

コメディ色も強くなり、

物語を盛り上げるのに一役買う要素になり得たかもしれないが、

とにかく高嶋政宏だけが妙に浮いていて、

全体的に、どこかチグハグ感を感じさせる結果となっているように思える。

 

「個性的と言えば、小沢仁志がいるじゃないか」という意見もあるかもしれないが、

小沢仁志は、そもそもの登場人物ではなく、

「1年生には、上級生がまるで小沢仁志のように見える」ために使われている、

比喩のためのキャラなので、

僕の望むアクの強い主要キャラの一人にはなり得ない。

 

正直なところ、

映画館までわざわざ足を運んで見るほどの作品ではなかった。

残念。

 

という事で、今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「ロッキー4/炎の友情」(ネタバレあり) 約30年ぶりに見た「ロッキー4/炎の友情」。今あらためて見たら、内容スカスカ(笑)。

 

8月19日、自宅で「ロッキー4/炎の友情」を鑑賞。

 

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1985年、アメリカ製作。

日本公開は1986年。

 

今回見た作品は、

スタローンが再編集し、

現在、映画館で上映中の「ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ」ではなく、

1985年に製作、公開されたオリジナルバージョンの方である。

 

8月17日の「ロッキー」初代作のレビュー記事でも書いたとおり、

僕はこの「ロッキー4/炎の友情」を、

中学生か、高校生の時だか(はっきりした時期は覚えていない)に見たことがあり、

ソ連の最先端科学トレーニングで鍛え上げられたイワン・ドラゴと、

ロシアの雪山にこもって、自分の感性の赴くままに、

手作り感満載のトレーニングを実行するロッキー・バルボアとの対比が、

非常に印象的な一本であった。

 

物語の大筋は、

ソ連がプロボクシング界に本格的に進出することを表明し、

プロとしてデビューするドラゴの最初の相手に、

かつてロッキーと死闘を繰り広げたライバルであり、

ロッキーの盟友でもあるアポロが、

自ら名乗りを上げる。

 

5年もリングから遠ざかっているアポロに対して、

ロッキーは「やめておいた方がいい」と試合の辞退を勧めるが、

アポロは聞く耳を持たず。

 

エキシビジョンマッチという名目ではあったが、

久しぶりにリングに上がることに、

アポロは、半ば興奮気味であった。

 

そして迎えた試合当日、悲劇が起きる。

 

アポロは、結果的にドラゴにKO負けを喫したのだが、

ドラゴの人間離れしたパンチ力で、

命までも奪われてしまうのである。

 

悲しみに暮れるロッキーは、

自ら、完全アウェーであるロシアの地に赴き、

アポロの敵討ちため、ドラゴと戦う決意を固める」

・・・・というもの。

 

さて今回、

「ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ」との比較のために、

約30数年ぶりに、この「ロッキー4/炎の友情」をあらためて見たわけであるが、

映画作品としては、

かなりペラペラで、スカスカな内容である事が判明。

 

まずダメなのが、ロッキーの家で動き回る

「お手伝いロボット」の存在。

 

「あれ?こんなヤツ、いたっけ?」と、

僕もこのロボット君の存在を完全に忘れていたが、

はっきり言って、物語の構成上、このロボットは全くもって必要がない。

 

大して面白いことを言うわけでもなく、

見た目もあまり可愛くない。

 

むしろ、夜帰宅した際に、

照明の付いていない暗闇の部屋で、

このロボットの光る目と、目が合ってしまったら、

さぞかし恐怖を覚えることだろう。

 

本当にこのロボットを、

どういう理由でもって、今作に出演させることにしたのだろうか?

 

ロボットを出演させることで、

ロボットを製作した会社から、宣伝費として、

映画作りのための資金が得られたからだろうか?

 

真相はわからないが、

こういった変に近未来を意識したかのような要素が、

いかにも「80年代の映画の悪いクセ」という感じで、

今作の品位を落とす材料の一つとして、

一役買っている。

 

そして「80年代的」と言えば、

途中で組み込まれる挿入歌の多さである。

 

これが、今作においては、とりわけ多い。

 

アポロの死後、

ドラゴと戦うことを決意したロッキーは、

さまざまな思いを抱えながら、

一人車に乗り込み、夜の街へ繰り出す。

 

この時、熱い曲調のハードロックをバックに、今までの作品の回想シーンが始まるのだが、

ここはまだ良いとして、

その後も、このような演出が事あるごとに登場。

 

ロシアに到着した時にも、

ボーカル入りの曲が流れ、

レーニングし始めたら、また音楽が流れる。

途中、エイドリアンがロシアまで一人でやってきて、ロッキーと再会するのだが、

そのあと、またボーカル付きの曲をバックにトレーニングシーン・・・。

 

バックに音楽を流しながら、

レーニングのシーンが展開されるのは、

ロッキーシリーズの定番であるが、

今作に関しては、その配分がかなり多い。

 

いや、はっきり言って多すぎる。

 

中盤以降は、

「プロモーションビデオかよ、この映画は」

と言いたくなるほど。

 

この「音楽プラス頑張っている場面のダイジェストの連続」でもって、

鑑賞者の気持ちを昂らせる手法に、

この映画を初めて見た頃の僕は、

当時まだ10代という事もあって、

その演出に「乗せられてしまった」のであるが、

大人になった今、あらためて見てみると、

こういったシーンの連続が、

極めてあざとく、お手軽な手法に感じて仕方がないわけである。

 

そして、肝心のロッキーとドラゴとの対決についてだが、

やはりどう考えても、

この試合にロッキーが勝てるとは思えない(笑)。

 

体格差(特に身長)、年齢、

ドラゴとロッキーが行なってきたトレーニングの内容を振り返ると、

冷静に見て、

あまりにもロッキーに勝てる要素が見当たらない。

 

なんせロッキーは、ロシアに来る際、

スパーリング相手を同行させていないのである。

これは、あり得ない(笑)。なんでやねん。

 

長らくボクシングの試合から遠ざかっている中年男が、

スパーリングをしていない状態で、

フランケンシュタインの生きてるバージョンみたいな若手と戦うのである。

 

絶対死ぬって(笑)。

 

でもまあ最終的にロッキーは勝つのだが(笑)、

この時のソ連の観衆の反応も、

「何だかなあ」である。

 

殴られても殴られても倒れない、

不屈のロッキーのファイトに、

ソ連の観衆から「ロッキー」コールが巻き起こるのだが、

これがほぼ全員、ロッキーを応援している感じで、正直、うすら寒さとクサさを感じる。

 

この試合で死闘を繰り広げているのは、

ドラゴも同じである。

 

ドラゴもロッキーに相当殴られながらも、

頑張ってロッキーに対峙しているのだ。

 

試合会場はドラゴのホームであり、

観衆のほとんどが、ドラゴと同じロシア人である事、

そして何といっても、

ある種の恐怖政治下にあると言ってもいい共産主義国で、この試合が開催されている、

という要素を考えると、

むしろ「ドラゴコール」が起こるのが普通であろう。

 

万雷のロッキーコールと、

試合後のロッキーの演説に対する賞賛の拍手は、

僕の目には、いかにもアメリカ人の気分を高揚させるための、

バランスを欠いた不自然な描写に見え、

製作者が意図したであろう爽快感を感じることはなかった。

 

僕の評価は100点満点で、51点。

 

「友が試合で死んだので、友を倒した相手に挑む」というだけの、

ロッキーシリーズ史上もっともシンプルな内容は、

よく言えば「誰にとってもわかりやすい、親しみやすいストーリー」である反面、

その内実は、

「音楽とダイジェスト場面を多用しただけの、スカスカムービー」

と批判されても仕方がない出来である。

 

・・・と、40代半ばで今作を見て、

かなり否定的な感想になってしまったが、

10代の頃に「ロッキー4おもしれー!」

となっていた自分の感性も、

実は完全には消え失せていない事に気がついた。

 

というのも、

ロッキーが試合終盤で巻き返してきた時、

やっぱり「よし!ええぞ、ロッキー!」となっている自分がいたのである(笑)。

 

どないやねん(笑)。

 

なんだかんだでロッキーという存在は、

「そんなバカな」と思いつつ、

どこかで男心を捉えて離さない何かがある。

 

ロッキーマジック恐るべし。

 

という事で、

次の休日は「ロッキーVSドラゴ:ROCKY Ⅳ」を見に行くとしよう。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。